オールドトラフォードの大音響は、ボールを保持するチームがホームチームなのか、アウェーチームなのかを、マンチェスターの町に知らせていた。歓声が最高潮になるのは、マンチェスターU、アンヘルにボールが渡った時、ブーイングが最大音量になるのは、アーセナル、とりわけ明也にボールが渡った時だった。
この日も行われていた、ニューライジングサンのパブリックビューイングは、矢野明也が映し出されると歓声が上がり、真夜中の九里ケ浜に響いていた。アンヘルがボールを持った時、ニューライジングサンは息を飲むような無音状態になった。アンヘルの凄さは、九里ケ浜に伝わっていた。
オールドトラフォードは、歓声が2度歓喜に変わり、ブーイングが2度沈黙に変った。
スタジアムの外からでもスコアが予測出来た。フットボールはチーム競技であり、個人競技ではない。だが前半の夢の劇場は、個人競技そのものだった。11対11、ピッチには22人がいたのに得点シーンでプレーしていたのは、2人だけだった。前半、アンヘルVS明也の戦いだけが見ている者たちに記憶された。ボールを左右前後に繋ぐアーセナル、マンチェスターUは、9人のコンパクトなブロックラインを敷いてプレスをかける。ポジショニングフットボールとプレッシング&ダイレクトフットボール。盾と矛のスタイルがはっきりしていた。
マンチェスターUの得点はボール奪取から、これがダイレクトプレーだというようなカウンターで、アーセナルのゴールネットを揺らした。アンヘルの見せたプレーはサイドの違いはあっても2点共に同じ形での得点だった。アーセナルディフェンスは、ボールを持って抜け出したアンヘルに追いつくどころか、差を広げられていた。キーパー、ルーマンとの1対1は、同じ形の得点だった。ビデオで再生された様なリピートプレーだった。
アンヘルは、一段と成長していた。ボール技術や1対1の強さは、更に磨きがかかっていた。マンチェスターUがアンヘルシステムとでも呼べる戦術をとっているため、今迄以上にアンヘルが生きるスタイルになっていた。このスタイルによってアンヘルが成長の階段を上って、マンチェスターUを復活させた。プレミアリーグがビッグ5と呼ばれた時代は過ぎ、ビッグ6時代の扉が開いたようだ。サー・アレックスに時代にプレミアリーグビッグ4のトップに君臨したマンチェスターUが70年の時をかけて蘇った。
「シティやロンドンのチームに遅れをとることはない」マンチェスターの人々はそう信じ、願った。
ヨーロッパの王者、世界王者への道を突き進むアーセナルと前半が終わって、2-2。プレミアビッグ5に長く勝点3を献上してきたチームが、ビッグ5の現トップと対等に渡り合っていた。
何年も空席だらけだった夢の劇場が今日は8万のスタンドも、3千人収容のプレスルームも、千人収容のビップラウンジも、これ以上入ることが出来ないほどに膨れ上がっていた。ユナイテッドの復活祭、そんなムードに包まれた。
しかし、夢の劇場、オールドトラフォードは、リトルデビルがキングデビルになったことを喜びながらも、少し不安を抱きながら見守っていた。
マンチェスターUのキックオフで後半が始まるとオールドトラフォードが抱いた不安が次第に明らかになっていく。前半はアンヘルVS明也だけだった。チーム力の差は目につかなかった。
だが、後半になるとアーセナルは、本来のチーム力を発揮し始める。チームの戦術をマンチェスターUに合わせて選手の並びを変えてきた。矢野明也をトップセンターに上げ、ティエミーを左サイドに置き、中盤はフラットの4枚に変った。3-1-3-3から3-4-3、よりコンパクトなゾーンになっていた。アーセナルは選手間の距離を狭くして、ポジショナブルなプレッシングスタイルに変えていた。ディフェンスラインの後ろには大きなスペースを開け、マンチェスターUのカウンターを恐れることなく、「来るなら、来いよ」そんな無言の圧力を出していた。
矢野明也がトップに上がったことで、前半マンマークに近い形での矢野明也についていたディフェンシブMFはマンマークの対象が近くにいなくなっていた。フラットに並ぶアーセナルMF4人とマンチェスターUのMF4人がマッチアップする中盤戦となった。
後半、時間の経過と共にアーセナルが連携、予測力、プレッシングの技術で優位になり、マンチェスターUを封じ込めてしまう。マンチェスターUは、アンヘルの後ろにいるセカンドトップの選手も中盤戦に加わり、プレスに追われる。それでも、マンチェスターUは、ボールを奪えず、クリアすることすら、出来なくなっていく。シュートされないことが精一杯になっていた。前線のアンヘルは、孤立してプレー機会を閉ざされてしまった。
後半は明らかにアーセナルがイニシアティブを取り、ゲームをコントロールしていた。
オールドトラフォードは、アーセナルがボールを持っても、ブーイングをすることをやめて、ホームチームへの応援に切り替えていた。孤立するアンヘルが、下がってボールに絡もうとするとアンヘルコールが起きる。アンヘルの動きは、嘗ての我の強いものではなく、チームのために尽くそうとするものだった。
「アンヘルが大人になったよ」ケヴィンが驚いたように口ずさんだ。
「今日のアンヘルは明也のようだ」そう見える程アンヘルは必死にボールを奪おうとしていた。
だが、アンヘルがボールを追いかければ追いかける程、マンチェスターUのバランスと怖さが削がれていくようになっていた。復活したマンチェスターUもチームとしてアーセナルに対抗するには、時間が足りなかった。アーセナルは、レアル・マドリー、チェルシー、ユベントスといった世界屈指の強豪と対等以上に渡り合ってきた。マンチェスターUの遥か前を行くアーセナルは、後半20分を過ぎた頃から完全にマンチェスターUをもコントロールし始めていた。マンチェスターUが狙うアンヘルへのカウンターは、アーセナルがその起点を完全に潰していた。
オールドトラフォードは、大声援によってマンチェスターUの背中を押し続けている。アーセナルに決定機が訪れると歓声は悲鳴に近くなっていた。勝利を諦めない姿勢とホームチームの意地だけが、マンチェスターUを支えていた。ゲームは明らかにアーセナルに傾いていた。しかし、得点の匂いはあっても、ゴールは遠かった。ゲームを支配しても、得点が入らなければ、勝利とは言えない。マンチェスターUの攻撃を起点で潰しても、たった1回決められたら、勝点を失なうことになる。
アンヘルは、チームの中で機能するという標準的な優等生のプレーを覚えていた。チームを活かし、チームを強くする選手、矢野明也がアーセナルにもたらした機能的プレーをアンヘルがやろうとしている。だが、それは、相手チームにとって組みやすいことになるかもしれない。
チームに機能美をもたらす選手が、必ずしもチームのためになるとは限らない。アンヘルは、一瞬で相手を恐怖に陥れる選手だ。それは、メッシよりも上と言われる程の能力だ。だが、今日のアンヘルは、唯一明也を超えているかもしれない能力をしまい込んで、チームのために滅私奉公と言うプレーをしている。アンダー年代の頃は、そこがアンヘルと明也の違いだとか、差だと言われた。でも、トップに上がってみると、明也も機能美だけを求めるようなプレーはしなくなった。アンヘル以上の強烈な個を出し始めている。明也を追い過ぎたアンヘルの限界がそこにはあった。
アンヘルは、チームにずっと愛されていた。だからわがままが許された。そして明也と言う壁にぶつかった。明也はチームに愛されたが、いつも始まりは、懐疑的に見られ、即受け入れられなかった。それを自分で乗り越えていった。誰かとの比較ではなかった。そんな明也は、既に過去のレジェンド達としか比べられなくなった。〇〇の再来ではなくなった。〇〇を超える才能となった矢野明也は、アンヘルの数年前を進んでいる。
後半35分、夢の劇場に沈黙と悲しみが同時に訪れ、九里ケ浜のニューライジングサンには歓喜が訪れた。ケヴィンから矢野明也に送られたパスはシュートの様な早さだった。矢野明也は、そのパスを左足のアウトサイドに貼り付けるように受けるとそこから先は、影だけが動くように見えた。アンヘルがタックルを仕掛け、カットしようと飛び込んだが、そこに明也はいなかった。その後もマンチェスターUの選手達が捕捉した場所は、明也の影だった。
「Stealth」
誰かが、そう叫んだ。
ゲームは3-2で終わっていた。夢の劇場はまたも矢野明也の前で「悪夢の劇場」となった。
(続く)