ゲームはまだ始まったばかり、時間は十分に残っている。今の状態が続けばアーセナルは、何失点するのかわからない。アーセナルベンチが動きを見せた。交代の選手がアップを始めた。ケヴィンは、瞬時に自分が交代かと思った。
「ケヴィンに任せたんだよ」明也が近づいてケヴィンに声を掛けた。明也は冷静さを取り戻していた。「今日のアンヘルは、止められないよ」「ケヴィン・クランツに止められない選手なんていないよ」明也はそう言ってケヴィンから離れた。
「ありがとう、明也」「でも、明也を止めるのはもっと無理だろうな」ケヴィンが1人で呟く。ケヴィンが少し吹っ切れた様だ。2人のやり取りをアーセナルベンチはわからない。交代カードを早々と切るのか迷ってもいるようだ。
矢野明也は、今日のゲームで何もしていない。アンヘルのプレーに驚き、Phantom throughを初めて生で見た事に感動していた。リオン・ファントマの映像は何度も見た。自分の映像も見せられた。自分の姿を見ることが出来なかったので、初めて生で見た迫力は映像が比べ物にならないくらい強烈だった。「アンヘルの方が凄いのかな」明也は、アンヘルの能力を讃えていた。
明也は、アンヘルのプレーを見ていたら、九里ケ浜にいる根元和のことを思い出した。和も自分と同じようなプレーを見せた事があった。ゲーム中なのに、九里ケ浜の風景が蘇った。ニューライジングサンは、変わってないだろうか。九里ケ浜を離れて3年しか経っていないのに遥か昔のことに感じる。潮の香りを感じなくなったのはいつからだっただろう。今ライジングサンに行ったら、東の風に乗ってやって来る潮の香りを強く感じるようになっているのだろう。祖父の拓也が言った「よそから来た人は潮の香りが気になるんだよ」という言葉が蘇った。「もうよその人になってしまったよ、おじいちゃん」明也は、ゲーム中にそんなノスタルジーに襲われていた。
「明也、どうした!」そんな声が聞こえて来た。矢野明也は、現実に引き戻される。
ここは、theater of dreams オールドトラフォードだった。真っ赤に染まったスタンドは、アンヘルコールが止まらない。
アーセナルベンチは、ケヴィンではなく、ゲームに入っていない明也を交代する意志表示をした。九里ケ浜を思い出してたたずんでいた矢野明也は、ベンチの合図に「No 」という返事をした。そして、日本語で「YAWARA勝負だ」と声に出した。
矢野明也が、ボール狩に動き出した。ユナイテッドのボールホルダーを追い始め窮屈にさせて行く。アーセナルのメンバーが明也につられてポジションを動かし始めた。アンヘルがボールを引き出しに下がって来た。ボールを追っていた明也は、下がって来たアンヘルのポジションを捉えて、ボールホルダーとアンヘルのコースを開けていた。
「ケヴィン!」明也が叫ぶ。ボールホルダーは明也の読み通り、アンヘルにパスを出した。アンヘルは「自分がやる」意識の塊になっていたので明也の眼には隙が見えた。
ボールは、アンヘルに届かなかった。アンヘルに出させたパスは、罠だった。ボールがアンヘルに到達する前にアンヘルの死角から現れたケヴィンがカットしていた。
アンヘルは、一瞬だけ怒りの眼を見せたが、直ぐにケヴィンからボールを奪いに行った。スタンドは「Angel through」が連呼されている。次の瞬間、ケヴィンの背後にいたはずのアンヘルがケヴィンの前にいた。
「瞬間移動」そんな映像がケヴィンの目の前にあった。
(続く)