ヴィオラのトレーニングは、常に競争というエッセンスが入っていた。目の前の相手に絶対に負けてはいけないというのが基本にあったが、それは当然個人であってもグループであっても同じ事だった。だが、実際はヴィオラの指導が選手を自分との競争に勝ち続けられる魂を入れていることが明らかだった。謙虚に、そして愚直に己の負の心に打ち克つ術をヴィオラは伝えている。
ヴィオラのチームでは、何処のクラブもやる様にゲーム中にプレーを解析するシステムを入れている。ヴィオラはこれを練習中も作動させていた。導入直後、選手の評判が良くないシステムだったが、プレーの質と量の検証に効果を発揮していた。プレーの質はヴィオラのロジックで解析される。それにプラスするようにヴィオラの要求が選手に伝わっていく。何よりもヴィオラが発揮するモチベーターとしての能力を増幅させる装置になっていた。
ヴィオラの前では、選手が最高のパフォーマンスを発揮する。それが、普通だった。矢野明也だけが迷路に入ったまま出口を見つけられずにいる。見つけようにも本人が見つける意識がない日々が続き、周囲は明也を置き去りにする以外方法が無かった。
明也はヴィオラから直接指導されることなく時が過ぎて行った。ヴィオラは明也のパフォーマンスが低下しているのがメンタルによるものだとわかっていた。それは表情を見ればわかることだったからだ。アーセナルのメンタルトレーナーのアドバイスも効果がなく、ただ時が過ぎて76-77シーズンに突入した。
明也は、ベンチにも入れない。プロ契約という境界線を超えたばかりの天才プレーヤーが異次元から出られない。リオン・ファントマの再来と言われた選手がまた1人消えていく歴史が語られることになるかもしれない。リオン・ファントマの再来というのは、呪いのように選手を蝕んでいく言葉かもしれない。リオン・ファントマの後継者と言われたもう1人の天才、ジェフ・ウィッシャーは、開幕から先発メンバーに名を連ね、自称自身最高のパフォーマンスを見せて復活をアピールしていた。トップチームに復帰する日が近づいていることを感じさせた。
開幕カード、アウェーでの対戦相手リーズUは、名門クラブ。ただ過去に実績のあるクラブだけだと言うのが普通の評価だった。名門クラブが、1stディビジョンと2ndディビジョンを行き来している。そんなになったクラブが名門のプライドだけで向かってきても、アーセナルBにとっては何の意味もないことだった。
ウィッシャーが躍動し、アーセナルBチームはトップチームを彷彿させる創造性満載のパフォーマンスを展開した。リーズUサポーターは、不甲斐ないホームチームにブーイングを浴びせる一方でウィッシャーのプレーに賛辞を送っていた。プレー解析システムはウィッシャーのプレーを全ての項目で高い数値を示した。
しかし、ベンチで静かにゲームを見ていたヴィオラの目にはそう映らなかった。ゲーム自体のプレーレベルに問題があったからだ。ゲームとしては、スピードも緩くプレッシャーもない低いレベルのものだった。4−0で完勝したアーセナルの選手達は満足している。ヴィオラだけは、満足するどころか、不安を持ったようだった。このレベルで満足してはならない。しかも次の対戦相手は、ノッティンガムフォレスト。かつてはヨーロッパカップを連覇したことのあるクラブだ。ノッティンガムフォレストは、長く定位置になっていた1stディビジョンの下位を脱出してチャンピオンシップ昇格が現実味を帯びて来た。長い低迷期を乗り越え、力を入れて来た育成が実を結び始めたからだ。ノッティンガムフォレストはヴィオラのチームとよく似た技術と闘志を全面に出すチームだった。