昨シーズンサプライズとなったFAカップは、トップリーグの並み居る強豪を抑えてファイナルに進出した。リバプールとのファイナルは、壮絶な打ち合いになった。終了直前に起きた微妙な判定のPK献上によって4−5で敗れたが、ウェンブリーの激闘として語り継がれるゲームとなった。そのノッティンガムフォレストが相手だった。
ヴィオラは、アウェーでリーズUに大勝したことが、悪い方に振れる懸念の方が大きくなっていた。ウィッシャーのプレーは、良くはなって来たが、メディアや本人が思うほどベストフォームに戻っていない。ノッティンガムフォレスト戦がウィッシャーの状態を判断する試金石となるだろう。
ヴィオラは、ゲーム明けのトレーニングでウィッシャーに集中するようになった。何も手にしてない状況でウィッシャーの内部に芽生えた慢心が危険に思えた。過去においても良いプレーの後に回りが騒いだこと、そしてそこについて回ったリオン・ファントマの後継者というタイトルがウィッシャーに慢心という呪いをかけ苦しめた。メディアも記事の見出し欲しさに、盛り盛りで選手を持ち上げた。ウィッシャーは過信状態に舞い上がり、怪我が重なり、典型的な負のスパイラルに陥った。以来トップチームの第一線に戻れない。クラブは、我慢し続けている。だが、リオン・ファントマがつけたアーセナルNo.10を背負う選手が4年の間トップチームから離れているのは異常だった。クラブの期待が大きかったから、ここまで待っていたが、いよいよ限界が近づいていた。
ヴィオラの1つ目の使命は、ウィッシャーをトップチームの中心で輝ける軌道に戻すこと。そして2つ目の使命は、矢野明也を成長軌道に乗せてトップデビューさせることだった。だが、ヴィオラは目の前のゲームをそっちのけにして使命を果たす気など毛頭ない。トップチームのサポートチームであるBチームであってもフットボールのゲームは、負けてはいけないものだった。
ノッティンガムフォレストとのホームゲームは、ハイベリーを使わない。U−17チームは、その年代のトップリーグという理由でハイベリーを使う。Bチームは、3部リーグという理由でミニスタジアムしか使えない。ミニスタジアムはグーナーズハウスの近くにあり、アーセナルスクエアの脇にひっそり佇んでいる。
通称アーセン・ヴェンゲルスタジアム。インヴィンシブルズの生みの親とも言うべき、嘗てアーセナルを率いたレジェンドの名を冠している。ヴェンゲルスタジアムは、アーセナルBチームだけが使うようになって久しい。トップデビュー前の若きリオン・ファントマやパトリック・ヴィオラもプレーしたBチームの専用スタジアムだ。
ノッティンガムフォレストが乗り込んで来たゲーム当日は、ロンドン特有の霧雨が降る寒い日だった。水を撒かなくても、今日のピッチはボールを良く走らせるだろう。トップチーム程グラウンダーばかりではないがパススピードをあげて闘うのはアーセナルの方だ。気温は低かったが、ゲームは熱くなるだろう。ノッティンガムフォレストの選手はウォーミングアップから熱かった。
フットボール=バトル。
ゲームは熱いノッティンガムフォレストに真っ向勝負を仕掛けるアーセナルという構図になった。局面でのボールの奪い合いは激しさとスピードを増し続け、弱気を見せた方が負けるギリギリの攻防となった。
ヴィオラが気にしていたウィッシャーは、フルスロットルのバトルに遅れることなく、むしろリードしていた。激しい攻防は前半終了まで続き、互いに譲らずスコアレスで折り返すことになった。
ベンチに入れない明也は、この日もスタンドでゲームを観戦していた。激しい内容のゲームに無感動なまま、ただ過ぎていく時に身を任せるだけだった。グーナー、アーセナルのサポーターもヴェンゲルスタジアムの最上部の席でゲームを眺めているのが矢野明也だと気づく人はいなかった。
(続く)