矢野明也が退団するという、九里ケ浜を襲った嵐は過ぎ去っていた。海から吹く東の風は、町にいつもと同じ潮の香りを運び、九里ケ浜は普段どおりの町に戻っていた。ロンドン行きを選ばずに家族と離れて1人で祖父の元に残った矢野明也をこの町は、喜び、暖かく迎えていた。
突然降って湧いたロンドン行きだったので、矢野明也は、移籍という手順を踏みようも無かった。ジュニアの選手が正式な移籍手続きをするのは、移籍先のクラブがその選手を育成と称して行う青田買いの場合だけだ。今回の矢野明也はその手順を踏んでいない。だから、ロンドンに行っても、新たなクラブを探して、そのクラブに適応するという課題を乗り越えなければならない。また、生活環境への適応という課題もクリアしなければならない。そんなことを何の準備もなく始めたら、矢野明也は、壊れてしまうかもしれない。父の拓哉は、レイソロスタウンから受けるプレッシャーを回避することだけに目を向けていた。だから、明也のクラブ選びまで思いが至らなかった。
九里ケ浜の町を熱くする矢野明也は、まだ11才になったばかりの少年だ。全国的にはほぼ無名の知る人ぞ知るくらいの存在で、ローカルプレーヤーの域を出て無かった。だが、矢野明也を見て、その能力に驚かない人は、地球上に存在しないだろう、フットボールを見たことが無い人でもその能力を感じるはずだ。
同年代のナショナルトレセンメンバーの中にも矢野を超える能力を持つ選手は、見当たらない。U−15ナショナルトレセンの選手を探しても見つけることは出来ない。ナショナルトレセンメンバーが矢野に勝るのは体格だけ、フットボールに関わる能力は、全て矢野が上だ。そして、この国のフル代表でも矢野明也を超える才能がいるとも思えなかった
この夏の終わり頃、九里ケ浜に合宿に来たU−13とU−15ナショナルトレセンチームがホワイトボーイズ相手に練習ゲームをする機会があった。矢野は、ロンドンから帰ったばかりのゴタゴタで、メンバー選出されず、矢野の年代から、根元和と真原仁が選出され出場していた。ホワイトボーイズが4−0で勝ったこのゲームでU−13ナショナルトレセンメンバーは、この2才年下の2人に全く歯が立たなかった。
ホワイトボーイズは、U-12メンバーが中心だったが、和と仁を加えたことで、個の能力と戦術実現力は、チーム力を格段に進化させていた。トレセンメンバーの個の能力は和と仁を凌ぐ者もいただろう。だが、トレセンメンバーの個の能力も、チームの中で生きる和と仁の機能性には数段劣っていた。機能美とでも言うべき躍動するホワイトボーイズに対して、トレセンチームは、結局のところ寄せ集めのチームでしかなかった。散々な結果に、トレセンメンバーは、自信喪失状態だった。
トレセンメンバーの1人が、和に向かって、「君が、矢野明也君ですか?」と聞いて来た。「違うよ。今日明也は、練習に来るだけだよ」和が返すと、「矢野君て、君よりも凄いの?」と続けざまに聞いて来た。「明也は、僕と仁を足して無限倍した位、ほら、あそこでボールを蹴っているのが明也だよ」和が答えると、トレセンメンバーは明也の方に視線を向けた。
(続く)