矢野明也は、ハイボールのリフティングをしていた。ボールは10m近くまで蹴り上げられ、矢野の足に戻るように落下していた。全く落とさない。海からの風は強く、上空に上がったボールは風の影響を受けているはずなのに、矢野はほとんど立ち位置を変えない。ボールと足がゴム紐で繋がっているようだった。トレセンの選手は、「嘘だろ!」と呟いて戻っていった。
ナショナルトレセンのコーチ達も、矢野明也を見たいと思っていた。なぜなら、九里ケ浜にいると矢野明也という名前が至るところで聞こえてくる。矢野明也とはどんな選手だろうと気になっていた。矢野と同年代の根元和と真原仁が、優にトレセンメンバーを超える能力を持っている。ならば、矢野明也はどれ程のものだろうか?和と話したトレセンメンバーが、コーチの元に戻り、矢野の方を指差して、「あれが矢野明也みたいです」と伝えた。
矢野は相変わらずハイボールリフティングを続けていた。矢野は、まだボールを落としてなかった。トレセンコーチも矢野のリフティングに目を見張り、驚きの色を隠さなかった。
矢野明也の才能は、計り知れない。身長は、漸く1m40cmを超えて、同年代に近づいて来た。小学校で整列するときは、いつも先頭だったが、今は、真ん中より少し前くらいになっていた。整列する時の「前習え!」の声がかかると、明也は、両手を腰に当てて胸を張るポーズをずっとやって来た。だから、今もその声がかかると条件反射で、両手を腰に当ててしまう。学校でもクラブでもこのことをいじられるが、明也は無邪気に笑うだけだった。
普段の明也は、天然性豊かであったが、無口で大人しいタイプだった。それが、フットボールになると別人格の明也が姿を現すのだから解らないものだ。誰も見たことが無いリフティング技は、フリースタイルのチャンピオンでも出来ないだろうというようものだった。それは、当にイリュージョン技だ。
そんな矢野明也がゲームになると見せるのは、魔術のような技よりも、よりシンプルなドリブルとワンタッチプレーだった。そしてコーチ達が教えられない技という、ピッチを3次元で認識する眼で得た判断のプレーは、人間技と思えない。明也に収まったボールを1人で奪うことはほぼ不可能で、ドリブルを仕掛けられた相手は、置物のようになってしまう。クラブ代表の石木克人が矢野明也のことを評して言ったことがある。「明也は、スイッチが入ると周りの時間を止める能力を持っている。だから、明也一人が動いて、周りが止まっているように見えるんだよ」と。
ナショナルトレセンのコーチは、矢野のピッチでのプレーを見たいと思い、ホワイトボーイズに次回合宿も九里ケ浜で実施する旨を伝えて来た。ついに矢野明也の名前は、九里ケ浜を出て、世に知られることになるかもしれない。しかし、矢野明也は、ナショナルトレセンチームとゲームをすることは無かった。
九里ケ浜ジュニアリーグの71-72シーズンは、ホワイトボーイズU-11を中心に動くようになっていた。ホワイトボーイズというよりも矢野明也を中心に動くようになっていた、そう言った方が正しい表現だった。
(続く)