スタンフォードブリッジに赤い悪魔がやって来た。アンヘル・ジアブロのトップデビューはそう伝えられた。長く長くプレミア下位をさまよい、優勝どころかヨーロッパカップの出場権を争うことも無く、降格争いを続けていたマンチェスターユナイテッド。この名門クラブが、昨シーズンのチャンピオンであり、現在2位といえ、アーセナルとプレミアタイトルをマッチレースで争うチェルシーをスタンフォードブリッジで破壊した。
1月の移籍期間を過ぎて、大きくチーム編成を変えたマンチェスターユナイテッドは、アーセナルの様に若い世代を下から引き上げて大幅なメンバー変更を行った。シーズン途中にここまで変更するのは、ギャンブルに他ならない。しかし、ユナイテッドは、10月以降、大幅に世代交代したアーセナルのように、チーム改変を断行した。
12月のハイベリーで矢野明也を中心としたアーセナルの若い力にマンチェスターユナイテッドは7対0の大敗を喫していた。「赤い悪魔ならぬ赤恥描いたのろま」そんなタイトルがメディアに溢れていた。年が明けた頃には、順位も17位まで急降下していた。降格の危機を前にして、ユナイテッドは改革を決意したのだった。改革の目玉がアンヘル・ジアブロのトップ昇格だ。矢野明也に対抗出来る才能をトップにあげ、危機回避を狙ったのだった。そしてユナイテッドBとユナイテッドCから多くの選手を引き上げた。
そんなチーム大手術後に迎えたのがスタンフォードブリッジのチェルシー戦。守備的ではあるが、イタリアの様な現実主義のリアルフットボールをする大人のチェルシーが、10代の少年を含む若いユナイテッドにズタズタにされてしまった。スタンフォードブリッジの怒りの声は天を貫くと思われる程、ノースロンドンからも、聞くことが出来るものだった。5対1というスコア以上に内容は開きがあった。アンヘル・ジアブロのプレーは圧巻だった。16歳の少年がチェルシーを壊し続けた。名前の通り、アンヘル・ジアブロはスタンフォードブリッジで悪魔になった。
ゲーム翌日、マンチェスターユナイテッドの復活を予感させるこのゲームは、ストークに苦戦したアーセナルのことよりも大きく報道されていた。アンヘルの登場というニュースは、アーセナルのメンバーに驚きと喜びを与えた様だ。たった1人、矢野明也だけが、このニュースに喜びを見せなかった。なぜなら、忘れかけていた煩わしい報道にウンザリする日々を思い出すからだ。
同じ年の同じ日に生まれた明也とアンヘルは決して切れない運命で結ばれている。明也はアンヘルを競争相手だと思ったことがない。周囲の状況はそんな明也の気持ちと裏腹にライバル関係を煽ろうとする。
Uー17リーグで戦った頃は、こんな選手が同じチームにいたらどんなことも出来そうな気がした。アンヘルがアーセナルを出て行った事を残念に思った。身長1m60㎝そこそこなのに空中戦は驚くほど強い。ドリブルは、アルゼンチンスタイルそのままにメッシの様なスラローム。多彩なシュートと正確性は、レアル・マドリーのロランドと比べても遜色ない。当時から既にバロンドール級だった。アンヘルの最大の凄いところは、並外れた負けず嫌いなところだとケヴィンが言った事があった。確かに初めて会った時そう感じた。またやって来る明也VSアンヘルという報道。
フットボールは個人の戦いではない。アンヘルに5点取られても、アーセナルが6点取ってゲームに勝てばそれでいい。超一流のその上の個を持つ明也がこんなことを思っているとは素直に受け入れ難い。しかし、明也が歩んで来た道は、個と言うより孤だった。いつも1人。1人だったからチームという家を探し続けてきた。個で勝つ事を否定しない。でも自分のいるチームが最高のパフォーマンスでいる事が、何よりも優先する事だった。綺麗事や優等生の話ではない。明也はいつも帰るべき家、いるべきチームがどこなのか探していた。そんな明也を取り巻く環境は明也本人の思いとはいつも別のところで動いていた。
そんな誰にも負けない力を与えられた矢野明也が史上最高のフットボーラーと呼ばれる日も遠くないだろう。しかし、メディアにとっても普通のファンにとっても比較対象がある方がわかりやすいものだ。同じ年の同じ日に生まれた2人の関係は出会う前から ドラマティックだったと。
ライバルクラブの悪意や害意を多分に含んだ報道が真実を隠す。矢野明也がアンヘル・ジアブロにNGを出してアーセナルから追放した。そんな記事が世に出回る。アーセナルを退団した元アカデミー選手のコメントがその記事を肯定する。メディアは事実とは異なる演出を折り込み、明也VSアンヘルの関係をドラマ仕立てのストーリーにする。フィクションがあたかもドキュメンタリーに仕立てられる。
矢野明也はアンヘルとの関係をドラマ仕立てにされることが許せなかったが、どうにもならないと我慢するだけだった。5年前、リオンがアンヘルをUー13に昇格させていたら、2人の関係は全く違っていたかもしれない。だが、時代はそれを許さなかった。矢野明也とアンヘル・ジアブロ、2人の思いとは別の次元でニュースは作られていく。
マンチェスターユナイテッドの復活がアンヘル・ジアブロの登場という脚色によってイングランド中を駆け巡った後、リーグ戦はFIFAウィークの休止期間を迎えていた。このFIFAウィークは、フル代表のワールドカップ予選やフレンドリーマッチの組まれるだけで他年代は招集されなかった。ヤングアーセナルのメンバーは、フル代表に呼ばれる選手がなく、リーグ休止期間は体のメンテを中心にしたトレーニングだけ。落ち着いた雰囲気の中でトレーニングをする事ができた。ただし、アーセナルスクエアを取り囲んだ報道陣は相変わらず殺伐としていた。
「明也、知ってるか?日本のUー17代表がスペインに来るぞ」「ああ、ニュースを見たよ、ケヴィン」「アジア予選を無敗で突破したみたいだね。真原仁を知ってるか?こいつアジア予選の得点王だけど、15試合で30点も取ってるよ」「ああ知ってるよ。仁はストライカーになったのかな。僕が知ってる仁はセントラルミッドフィールダーだったよ」「天岡良は?こいつは凄いぞ。決定機演出が、18試合で99回だ。明也を超える才能だってさ。本当かそれ?」「良は、僕がロンドンに来る頃一気に才能が開花していたよ。才能は僕より上かもしれないよ」「嘘だろ!お前より才能がある奴がいるなんて信じられないな」「良は点取り屋じゃないから目立たないんだよ。僕が日本にいる頃、僕の真似ばかりしてたよ。僕が練習してやっと出来たことを、良は僕のプレーを見ただけで出来ちゃうから驚いたよ」「根元和の事は何かある?」「キャプテンだね。決勝の韓国戦で先制点と5点目を入れてるよ。真原とツートップ組んでるみたいだ。精神的支柱だって」「みんな凄くなったんだな。会ってみたいな。」「スペインに行けば会えるさ。明也がイングランド代表を選べばスペインに行けるよ。ピッチで会えるかもしれないよ」「それは無理だ。どこの代表にも行かない」「相変わらずだな。でもこの話はやめよう」
日本のUー17代表がスペインにやって来る。シーズンが終わった6月に。突然舞い込んだ情報に、明也は動揺した。和と仁、そして良がスペインにやって来る。5年ぶりだろうか?いや1年前に良を見ている。ライジングサンで。明也の頭に九里ケ浜の事が蘇った。ずっと気にしなかった。思い出さないようにしていた故郷が頭の中で溢れそうだった。でも、それがどうすることも出来ない事だとも分かっていた。
ロンドンで、アーセナルにいて、ここが落ち着ける場所だと感じていた。ライジングサン、ホワイトボーイズにいたのは5年だった。ロンドン、アーセナルに来て5年になろうとしている。明也は5年が長いと思わなかったが、短いとも思わなかった。ずっとフットボールだけに集中していた生活。それだけでロンドンに暮らしていた。
(続く)