U−10に上がった矢野は、小さいながらも漸く同年代の体格に近づいていた。技術的には、ホワイトボーイズジュニア年代の中心選手になっていた。ジュニアユースの中に入っても技術的には全く引けを取らないどころか、ユース年代の誰よりもアイデアと意外性に溢れていた。
U−10の中に矢野に対等にマッチアップ出来る選手は、ホワイトボーイズにも、レイソロスにもいなかった。国中探してもほとんどいないだろう。
レイソロスのコーチ達は、矢野の成長を見る度に矢野をレイソロスにとどめておけなかったことを悔やんでいた。それ程矢野の才能は、飛び抜けていた。U−10リーグは、矢野のプレーによってホワイトボーイズのワンサイドゲームばかりだった。これまでU-13までは、レイソロスが圧倒していたのに結果は逆になった。ホワイトボーイズがワンサイドゲームでレイソロスを木っ端微塵にした。2年くらい前、矢野が頭角を現した頃、レイソロスのコーチ達は、策謀を使い、矢野の引抜きを狙ったが、ことごとく失敗に終わった。レイソロスは、ビジネス第一主義のクラブ運営をしていたので、選手集めのために手段を選ばない。選手を集めるための最大のアピールはゲームに勝つ事だったから、矢野が欲しかった。だが、矢野は、レイソロスのパワーとスピードのスタイルが未だに好きになれなかった。ひいおじいさんの血がそうさせなかったのかもしれない。
3年振りに復活したダービー。地域リーグ前半戦、冬を迎える季節のダービーは、レイソロスタウン、ドリームフィールドが会場だった。レイソロスはナショナルリーグを降格して地域リーグに帰ってきた。ホワイトボーイズサポーターは、「お帰り、レイソロス」の横断幕を掲げている。レイソロスにとっては、悔しい言葉だったが、ホワイトボーイズサポーターにとっては、レイソロスがいつも側にいて競いあうことが本当に嬉しかった。
ダービー前日のフレンドリーマッチも再開された。矢野がホワイトボーイズに入団してから、ホワイトボーイズ対レイソロスの関係は完全に逆転していた。U−10とU−11のゲームは、其々3対0、2対0でホワイトボーイズの勝利となった。このゲームに矢野は出ていない。矢野に刺激された矢野年代が覚醒を始めていた。それに刺激された上の年代も急速な進歩を遂げた。
そして矢野が先発したU−12のゲームは、一方的になった。矢野は3ゴール5アシストという格の違いを披露して、レイソロスを沈黙させた。10対0という大勝利がホワイトボーイズにもたらされた。U−13以降のゲームも勢いに乗ったホワイトボーイズは全て勝利。復活したダービー前日の伝統あるフレンドリーマッチで8戦全勝は史上初だった。ホワイトボーイズは歴史的勝利をアウェーで成し遂げた。この日から、矢野明也の名前は、完全にレイソロスサポーターに刷り込まれた。
ダービーは、レイソロスがホームらしからぬミスを連発して守備が崩壊。ホワイトボーイズは、5対0という「マニータ」を達成。3年ぶりのダービーでレイソロスは、悪い夢を見ているような2日間になってしまった。
(続く)