2076年のクリスマスを迎える頃、アーセナルは、首位チェルシーに勝点3差まで迫っていた。直接対決したハイベリーの一戦は、一方に勢いを、もう一方に停滞をもたらしていた。ハイベリーの戦い以降、アーセナルはマンチェスターシティ、セインツ、ハマーズ、ユナイテッドと言った難敵をことごとく撃破してリーグ戦8連勝中。ミッドウィークのチャンピオンズリーグも5節6節を連勝して、予選ラウンドを1位突破していた。チェルシーは敗戦こそないものの、3勝5分と下位チームとの対戦が続いた中で勝点を落としていた。直接対決したハイベリーのゲーム前に13あった勝点差が3になった。
次のリーグ戦、アーセナルはホワイトハートレーン。チェルシーはシティ・オブ・マンチェスター。2位対4位、1位対3位というトーナメント戦の順当なセミファイナルのようなカードを共にアウェーで行う上位対決が控えていた。シーズンの折り返しが近づき、クリスマスチャンピオンと呼ばれる前半の山場を迎えた時期、チェルシーはツキにも恵まれていないようだった。
チャンピオンズリーグ予選ラウンドを首位通過していたチェルシーの決勝トーナメント、ラウンド16の相手がレアル・マドリーになった。レアル・マドリーがまさかの展開で2位通過となった。予選ラウンドを1位通過した有力クラブはどこもレアル・マドリーだけは引きたくないカードだった。1位通過チームの思惑が裏に潜む中で、ジョーカーと言えるカードをチェルシーが引いてしまった。アーセナルに破れたといえども世界一のレアル・マドリーとラウンド16で対戦したいクラブはないだろう。「アーメンマッチ」そんな心情がチェルシーのチーム内に宿っていたはずだ。
ちなみにアーセナルの相手は、ユベントスだった。ユベントスは予選ラウンドをバイエルンと直接対決スコアレスの最終同ポイントとなり、得失点差で2位通過だった。ユベントスの固い守備は健在だ。スペインのチームに比べて固い守備を誇るイタリアチャンピオンを相手にするアーセナルも決して楽とは言えない。チャンピオンズリーグの決勝トーナメントは2月だからまだ先の話。プレミアタイトルを争うチェルシーとアーセナルが、互いに上位対決を制して、リーグ戦を2チームのマッチレースにするか、共に破れ逆に混戦にしてしまうか。タイトルレースは見る者を注目せざる得ない状況に導いていった。
レースの流れは追いかけるアーセナルに有利な感がある。ただし、フットボールはわからない。ロンドンダービーは簡単ではない。結果ばかりを考えたチームは、どこかで切れてしまうことがある。それは百戦錬磨のチェルシーといえど、勢いに乗るアーセナルといえども同じだ。
クリスマスシーズン、プレミアリーグ以外のリーグ戦は休暇に入る。リーグカップが廃止されて過酷なスケジュールは減ったが、この時期のプレミアリーグは厳しいスケジュールが続く。そんな中で行われる上位対決は、スケジュールの不満を口にした方が負の流れに飲み込まれることが多い。メディアもサポーターもタイトルレースも行方に注目が集まっていた。矢野明也の登場によって、プレミアリーグは、世界の中心になろうとしている。リオン・ファントマの時代が終わってから長くスペインにその座を奪われていたプレミアリーグは、唯一開催されていることもあってメディアの上では王座に帰還した。
クリスマスマッチとなったホワイトハートレーンのノースロンドンダービー。12月のロンドンにしては、驚くような気温の高い初夏の風を感じる朝だった。
「温かい風が吹いている。九里ケ浜の5月に吹くような風だ。」明也はそんな風を感じていた。
明也はハートレーンと縁が深い。ロンドンを初めて自転車で走ったのが、ホワイトハートレーンと呼ばれる道だった。ホワイトハートレーンが道の名前だとこのとき知った。ロンドンで初めて草フットボールをしたのもホワイトハートレーン脇の公園だった。あの時ジャックと呼ばれていた少年とビーン爺さんと呼ばれていた2人がディビジョン1のゲームでホワイトハートレーンに来ていた。あの2人はまた来るだろうか。明也はあの2人と話がしたいと思っていた。4年前のあの出来事が、あの時誘ってくれたジャックが自分を自然のままロンドンに入れてくれた気がしたからだ。
ハートレーンのピッチはハイブリッドだったので天然芝のハイベリーよりもニューライジングサンに近いピッチだった。世界最高水準のハイベリーよりもハートレーンのピッチは劣ると言われるが、明也は懐かしい気分になってなんとなくだが、ホットするピッチだった。
ホワイトハートレーンはランチタイムマッチで正午キックオフ。シティ・オブ・マンチェスターはティータイムマッチ、午後3時キックオフ。ホワイトハートレーンの結果が出た後にシティ・オブ・マンチェスターはゲーム開始となる。結果によってメンタルに影響を受けるチェルシーの方がやりにくい日かもしれない。だが、これは、リーグ戦。このゲームが、タイトルレースを決定するものではない。
両チームの監督、ジル・キャンベル、ジョジョ・モウリアーノは共に「このゲームはリーグ戦の一つであって、それ以上でもそれ以下でもない。」それを強調していた。
アーセナルの先発メンバーが発表されると、ホワイトハートレーンは大ブーイングが巻き起こった。特に背番号28がコールされた時の大音響はブーイングなのか、声援なのか区別がつかなかった。
明也は遂にプレミアリーグの先発メンバーに名を連ねた。ロンドン初日にやって来たホワイトハートレーンがデビューとなったのはどこか縁のようなものを感じてしまう。リオン・ファントマが17歳でデビューしたのもホワイトハートレーン。リオン・ファントマの再来と呼ばれた時からこの日は運命づけられていたのかもしれない。
ゲームが始まると展開は異様な展開になった。スパーズはほとんどボールを持つことが出来なかった。
アーセナルは、スパーズのボールを奪い続け、失うことが無かった。矢野明也がピッチセンターで起点となり、中継点となってボールを支配する。ノースロンドンダービーが、アーセナルによってフットボールのレッスン会場と化した。スパーズは激しい寄せと速攻を狙っているのが、よくわかった。だが、アーセナルがボールを支配し続け、矢野明也がラストパスとシュートを供給し続けたゲームだった。複数の矢野明也がピッチに現れていた。11人対11人のゲームにはとても見えなかった。前半を矢野明也2ゴール2アシストで折り返すと後半は更にギアを上げた明也は、その影だけが動いているようなプレーを見せた。
スタンドにいたジャックとビーンおじさんは前半の展開に頭を抱えるだけだったが、後半の矢野明也に拍手を送るようになった。ホワイトハートレーンは、ブーイングが収まり、矢野明也のプレーに酔ってしまった。スパーズの選手には屈辱的なことだったが、ゲームの展開は決定的な差があった。後半アーセナルの7点目のゴールがスパーズのゴールネットを揺らすとホワイトハートレーンに長い笛の音が響いた。
タイムアップと共にホワイトハートレーンにスコールのような雨が落ちて来た。クリスマスの時期にこんなスコールが起こることはありえない。ホワイトハートレーンの神様が流した涙だったのかもしれない。
アーセナルは9連勝を飾り、瞬間的にどう勝点に追いつき得失点差でチェルシーを抜いて首位に立った。
そして、この後チェルシーは本当に首位を明け渡す日になってしまった。
アーセナルは、ヴィオラの時代以来のプレミアリーグ首位に立った。
(続く)