ヴィオラが引退してもうすぐ5年になる。次代を担う期待の矢野明也は天才の片鱗を見せているが、まだ若い。アーセナルBで埋れてしまった過去の天才達のようになる事もあるだろう。
早熟な天才も、大人になるとただの人。今のアーセナルBには、リオン・ファントマの後継者と呼ばれ、鳴物入りでトップデビューした現アーセナルNo10、ジェフ・ウィッシャーが所属していた。ウィッシャーは、ヴィオラが引退した翌年に17歳でトップデビューを果たすと、アーセナルに創造性を蘇らせるプレーを連発する。グーナーは熱狂した。「リオン・ファントマ時代の強く美しいフットボールが復活した」そんなコメントがアーセナルを包み込んだ。ジェフ・ウィッシャーは、アーセナルの背番号10を受け継ぎ、時代の主役になった。なったはずだった。だが、ウィッシャーに訪れたのは、怪我による離脱、そして復帰と離脱を繰り返して4年が経過していた。まだ21歳のウィッシャーなのに、グーナーは既に過去の人として、忘れかけている。そんなジェフ・ウィッシャーがアーセナルBチームに所属している。
アーセナルの魂を継なぎし者、パトリック・ヴィオラ。ジェフ・ウィッシャーと矢野明也。ヴィオラが率いるアーセナルBに所属する2人の天才フットボーラー。共に傷を負ってヴィオラのもとにたどり着いた。
矢野明也がアーセナルスクエアでの初練習に参加した日、怪我の癒えたジェフ・ウィッシャーがスクエアに姿を見せた。昨シーズン、ゲームに出ることはおろか、練習に参加することもできなかったウィッシャーの登場は、アーセナルの内部でちょっとした話題となった。しかも訳あってアーセナルBにやって来た矢野明也と同じ日になるとは不思議なつながりがあったのかもしれない。初日の練習では、別メニューを行うウィッシャーと明也の絡むシーンは無かったが、明也がロンドンに来て直ぐの頃、華々しいデビューを飾ったウィッシャーは明也とって憧れの存在だった。
この日パトリック・ヴィオラは、直接矢野明也に声をかけることはなかった。ずっとウィッシャーについて直接指導をしていた。それでも練習に参加する明也の動きはときおり観察していた。明也の動きに切れや力がないことは一目瞭然。U-17チーム時代は、とても15歳の少年のプレーではないと思っていたが、今アーセナルスクエアでプレーする少年は、あの時見た少年とは別人だった。
祖父の病気が引き起こした矢野明也の別人化現象は、明也の心に潜む九里ケ浜へのノスタルジーがもたらしたこと。だが、ヴィオラにとって知る由もなく、知ったとしても、そんなことは何の意味もなかったことかもしれない。ヴィオラの導くべきは、矢野明也が一日も早く成長軌道に戻ること。そしてジェフ・ウィッシャーが、トップチームに戻ることだった。アーセナルが、強いチームとしてプレミアリーグの王者に返り咲くために、この重要な選手たちが、アーセナルBチームを卒業していくことだった。
これから始まるシーズンは、ヴィオラにとって、ジェフ・ウィッシャーにとって、そして矢野明也にとって将来を左右するシーズンになる。イングリッシュ・フットボールリーグ1stディビジョンは、プレミアリーグの様な華々しいリーグではない。そこは、下剋上と生き残りをかけた戦い以外存在しない世界だ。ずっと王道を歩んできた矢野明也にとって、見たことの世界が広がっていた。
明也にとっては、まずゲームに出場できるかが最初の目標となるのだが。
(続く)