そして、フォーメーションのトレンドは、当時史上最強と謳われたバルセロナの登場によって「4-3-3」が復活する。ポゼッション、ティキタカと呼ばれるスタイルは、攻撃フットボールの復活だった。スリートップの復権。アヤックススタンダードが蘇った。アヤックススタンダードの進化系バルセロナはリオネル・メッシと共に時代を凌駕し世界を席巻する。「メッシの時代」と言われた10年間だった。「4-3-3」は、グローバルスタンダードになった。
「4-3-3」の復活は、副作用を伴った。それは、守備的に進化した「4-4-2」の登場だった。この「新しい4-4-2」によって時代は、カウンターアタックがトレンドの主流になっていった。「4-5-1(4-2-3-1)」も「4-4-2」に変形するのがトレンドとなり、攻撃的フットボールは、時代遅れの戦法になってしまった。フットボールは長い冬の時代を迎えてしまった。
20年ほど続いた冬の時代を打ち破ったのが「リオン・ファントマの時代」だった。リオン・ファントマの登場によって長く続いた守備的フットボールが終焉を迎えた。その時のフォーメーションは、「4-3-3」とも「3-4-3」とも言えるクラシカルな「アヤックス・スタイル」だった。時代はフォーメーションで語るには同じものの繰り返しになっていて数字だけで語るには的外れになった。リオン・ファントマは、神出鬼没だった。フットボールの神々の化身の様だった。それでも、やはりリオン・ファントマの時代も終わりに近づくにつれて「4-4-2」に飲み込まれていった。20年ほど前まで続いたリオン・ファントマの時代を過ぎると、フットボールの戦術トレンドは、守備に振れていった。
だが、イングランドのフットボールは、ずっと「4-4-2」が主流だった。ヨーロッパのトレンドがどうであろうと、グローバルスタンダードがどうであろうと「4-4-2」だった。
オールドトラフォードは、シビレを切らしてざわめき始める。お互いが届かないパンチを出し続けるボクシングの様な展開は、リスクを冒しても果敢に縦を入れるイングランドのスタイルではなかったからだ。レッドデビルスの選手達は、スタンドの苛立ちに呼応する様にプレスの圧とスピードを上げて、アーセナルから次第に自由を奪い始める。
明也とケヴィンの技術がプレスをかいくぐりボールを保持しているが、ボールを持ったアーセナルが押し戻されて行く。アーセナルが様子見ながらも余裕を持ってボールを動かしていた時は、ケヴィンとアンヘルの距離は離れていた。アーセナルが押し戻されたために、ケヴィンの直ぐ側にアンヘルが立っていた。ケヴィンが、近付いたのだった。それでもケヴィンは、アンヘルに注意は怠らなかった。「アンヘル、見てるよ」ケヴィンが横目でアンヘルを追っていた。
その瞬間ケヴィンにパスが来る。「アンヘル、やらせないよ」ケヴィンが呟いた。ケヴィンは、アンヘルのコースをカラダでブロックしてボールをキープしたと思った。
だが、見えたのは、アンヘルがケヴィンのカラダをすり抜けたシーンだった。ボールは、アンヘル・ジアブロが奪ってアーセナル陣に1人で持ち込んでいた。この後は、アーセナルは何も抵抗出来なかった。アーセナルDFとキーパーはアンヘルに近付く事も出来ず先制点を奪われてしまう。
オールドトラフォードの苛立ちが歓声に代わった。アンヘルコールが起こった。
「Angel through」
明也は、驚きで言葉が出なかった。
(続く)