明也がガナーズに来てから、受けていたプレッシャーは並大抵のものではなかった。明也は、それをプレーで乗り越えて来た。リオンの再来ということもアンヘルの退団も皆明也にとっては、心にのしかかる呪いだった。明也は、入団以来、リオンの再来という言葉やアンヘル退団によって常に見えない相手と比較され続けた。グーナー達の興味もずっとそこだった。気にしないと言ってもずっと気になっていたのは事実だった。そして、明也の心には日本にいる仲間達と日本のクラブがあった。「ここがホーム」その言葉は明也の気持ちに変化が起き始めた証だとケヴィンは思った。
ハマーズボールのキックオフで始まったゲーム。慎重な入り方のハマーズは、アーセナルの出方をうかがうように簡単にボールを前に運ばない。アーセナルもハマーズに合わせる様に様子を見ている。
スタジアムの歓声はやまない。ハイベリーのスタンドは一体となり、ひとつの生き物の様だ。スタンドがピッチに飛びかかろうとしている様に見えていた。ハマーズは、スタンドから発せられる圧力によって一層慎重な動きになった。だが、その慎重さはやがて消極性に代わり、弱気に繋がっていく。ホームアーセナルは、プレスを強め、ハマーズのパスを逃げるだけのものにしてしまう。弱気のプレーは、ボールロストという副作用を伴う。アーセナルは、ボールを奪うとポゼッションというスタンダードな戦術スタイルによってゲームを支配する態勢に入った。
スタンドの歓声は、更に大きくなっている。このゲーム、矢野明也はドリブルを使わなかった。不要だと思ったからだ。アーセナルの流れる様なパス回しと連動した人の動きは、プログラムされたコンピューター映像の様にハマーズゴールに迫る。パスで動くボールはピンボールを見ているようだ。矢野明也とケヴィン・クランツが糸を持ち操作していた操り人形が自らの意思で動き始めている。「ソリッドな流動体」とでも形容出来る機能の美しさを見せていた。そして次々と美しい決定機が作られていく。
ところが、決定機=ゴールとはならないからフットボールのゲームはわからない。ホームの勢いがアーセナルを支え、弱気になったアウェーチームが、殻に閉じこもっている。アーセナルがボールもゲームも完全支配する展開なのにゴールが決まることなく、時間だけが過ぎていく。
決定機を決め切る力とは、ストライカーであるか否かの決定基準となるものだ。ただ、真のストライカーとは、決定機ではない状況であってもゴールに繋げる力があることだ。アーセナルUー17は、ゲームを支配する技術的なスキルは、イングランド内では、最高レベルにあった。しかし、ゴールゲット力になるとイングランド最高とは、お世辞にも言えない。決定機のゴール決定数においては、矢野明也がチームのトップにあって、決定機ではない状況でゴールするのも矢野明也に頼るからだ。矢野明也は、ストライカーというには綺麗すぎるプレーであり、プレーメイク、チャンスメイクが本来の個性であろう。だがチーム得点の半分以上が矢野明也によるもの。このチームに決定機を決め切る選手がいたならアーセナルUー17は、もっと強いチームになるだろう。
だが、連動する機能美のチームほど、アーセナルUー17の様になる傾向がある。ロマンティックな美しさを追求していくと、技術的、機能的な優位性によって、いつでも崩せる錯覚に陥る。そしてフィニッシュの精度を欠いていくという心の中に生まれる負の連鎖だ。だから、弱者の戦法とも言えるリアクション型カウンターアタックが生き続ける。フィニッシュ精度を欠く流れは、カウンターの餌食になる。上手くて美しいフットボールが、カウンターの餌食になって苦杯を舐める。それが、フットボールだ。
(続く)