ハマーズとのゲームもそんな流れが出始める。ロンドンをホームタウンにするチームの戦いは、技術や戦術の差だけで決まらない。ロンドンの2大チームであるアーセナルとチェルシーに、ロンドンの他のチームは、力以上のものを出す気で向かっていく。猫が虎に牙を向ける様に。
矢野明也を守るために、矢野明也を見るために、ハイベリーを埋めた普段は厳しい目のグーナー達は、スコアレスが続く展開でも、アーセナルの機能美溢れるフットボールに酔っている。トップチームと錯覚する程の流動性は、Uー17とは思えない。足りないのはゴールだけだった。
明也は、スコアレスの展開が続くことに不安が募っていく。今日のボールと人の動きは、練習で出来るレベルを優に超えている。だが、ハマーズのディフェンスは、弱気の出た攻撃とは別物だった。崩されても崩されても最後の線は超えさせない。そこには、機能美対強靭美という構図が出来ていた。これが、イングランドフットボールの奥深さだ。ゲームは、魂対魂のゲームになった。アーセナルのパススピードは、トップリーグでも見られないほどまで上がっている。アーセナルのハイレベルなプレーにつられてハマーズの受けも進化している。共鳴現象が起きていた。
前半残り10分を切った。スコアレスが続く。ここでケヴィンにボールが渡る。明也をみる。マークは2人、カバー1人。明也直はない。ケヴィンにハマーズ選手が寄せる。ケヴィンがかわす。ケヴィンがボールを持ったまま中央をドリブルで進む。普段のケヴィンは、典型的なセントラルMFながら、とても器用にボールを扱う。イングランド出身の選手らしくない柔らかさを持っている。普段はドリブルしないケヴィンが、ドリブルで行く。ハマーズの中央は絞ってスペースが無くなっていく。明也からマークが離れている。ディフェンスが寄せた瞬間、ケヴィンはフェイクを入れズレるとチップキックで裏にループ。
ボールのいく先にアーセナルの赤と白のユニフォームを着た背番号10が走り込んでいた。
矢野明也だった。狭い裏を取られたハマーズは、矢野明也対キーパーという、絶体絶命になる。次に見えたシーンは、矢野明也が、リオン・ファントマの再来と言われる様になったプレーだった。空中のボールを胸で受け、ボールを落とさず、キーパーと対峙した明也は、左肩を一瞬沈めただけでキーパーの動きを止めてしまった。キーパーは足が動かず手だけを伸ばそうとするのがわかった。明也はただ真っ直ぐゴールに進んだ。動かなくなったキーパーをすり抜ける様に。仕組みも仕掛けも知っているのは、矢野明也だけ。「Phantom through」幻が通過したと呼ばれたプレーが、ハイベリーで復活した。
ハイベリーのスタンドは、ケヴィンのパスを明也が受けた瞬間、無音になっていた。グーナーは自身の鼓動が聞こえたかもしれない。それほど静まり返った。矢野明也がゴールしたボールをキックリフトして手に持ちゴールから出てくる。
無音のスタンドが大歓声にかわった。
明也コールがハイベリーに広がって、スタンドにこだましている。ハイベリーが魂を持った生命体となって声を出している様だ。