明也がボールを持つとユナイテッドの選手達は、直ぐにプレスに来なかった。明也を警戒している。抜かれない様に間合いを取ってコースだけを塞いでいた。明也はボールを数回動かしてボールをケヴィンに渡すと直ぐにリターンを受けて、左サイドに速いミドルパスを出す。アンヘルのいるサイドだった。
アンヘルは動かない。サイドで息を潜めている。ユナイテッドボールになった時に、カウンターで裏への抜け出しを狙っている様だ。明也は左サイドにずれて、ボール保持の中心に入った。明也がボール回しに入ったことで選手間の動きが安定し、パススピードが増していく。ガナーズ本来のパススタイルが持つ機能性が戻ってきた。危険を察知したアンヘルが引いて守備に入った。明也とアンヘルが急接近する。マンツーマンのマッチアップになった。明也はボールを持ちながらもアンヘルを観察していた。アンヘルの方が明也に対して対抗意識が強い様に見える。
明也がガナーズに来たことでアンヘルがガナーズを出ることになったのは事実だ。アルゼンチンが生んだ新時代の至宝と10才になる前からもてはやされたアンヘル。それが、当時は、マイナスに働いていたのだった。明也の登場によってアンヘルのプライドは傷つけられた。しかし、それがアンヘルを成長させるきっかけになっていた。メッシの再来と得意になっていたアンヘルでは無かった。
アンヘルのプレーは、ガナーズ時代のものでは無かった。当時は守備をしなかったアンヘルが守備をしている。しかもとても激しい。明也にだけは負けないという本気度が見えている。ケヴィンが驚いている。「ここにいるアンヘルは、ガナーズにいたアンヘルとは別人だ」
フットボールは、戦術という約束の中でゴール数を競い、勝負を決する競技だが、どんなに戦術が進化しても、個のマッチアップにおいて勝利出来なければ意味がない。
明也とアンヘルのマッチアップは、別の世界のものの様だった。明也のボールタッチは、周りの時間をスローモーションにしていた。だが、アンヘルだけは明也と同じ速度でチェックの動きになっている。明也が楽しそうだ。アンヘルも笑っている。ピッチの中で2人だけの世界が出来ている。明也が左サイドからアンヘルを連れて中央に向かって行く。他のユナイテッド選手は、アンヘルを助けるようとサポートに入るが、なにも出来ない。2人だけの世界で明也が更にギアをあげた。アンヘルは付いて行けなくなった。明也1人だけが、異次元に入った。アンヘルが驚いた悲しげな表情で明也を見送っている。
7-5 アーセナルの7点目は、ゲームを決する得点になった。
ハイベリーのスタンドは、アンヘルコールから明也コールに替わっていた。それにしてもヒドいゲームだった。明也は、前半に天国を、後半は地獄を見たようだと感じた。
ゲーム終了後、明也とアンヘルは向き合っていた。「明也、今日のゲームは、僕の負けだ。でも、僕は後半だけで5点取れたから、オールドトラッドフォードでは、負けないよ」「アンヘル、相変わらず負けず嫌いだな」ケヴィンが割り込んで来た。「オールドトラッドフォードでは、本気で行くよな、明也」ケヴィンの言葉に明也は「今日も本気だったよ」と答えた。ケヴィンが「明也は、正直だな」「アンヘル、この明也に騙されるなよ」「わかってるよ」アンヘルの答えはどこか含みがある様だった。
ハイベリーに衝撃を与えたアンヘル・ジアブロだったが、矢野明也の見せた異次元プレーによって打ち消されてしまった。グーナーには、良い結果だった。明也とアンヘルが初めて顔を合わせたゲームは、フットボールらしくないスコアが記録された。そして2人の天才が見せたスーパーなパフォーマンスとして記憶されることになった。
(続く)