リーグ戦、エバートンとアーセナルのゲームは、開始からアーセナルが圧倒する。ホームのグディソンパークに立つのは、エバートンのU-17メンバーも初めてだ。ホーム初戦で闘志あふれるエバートンは、恐ろしいほどの圧力でハイプレスをかけて来た。しかし、エバートンのプレスは、アーセナルの前ではノープレッシャーに等しいものだったのだ。矢野明也とケヴィン・クランツのパス交換は、エバートンU−17の中央をディフェンスのいないパス練習エリアにしていた。2人は何回の決定機を作っただろう。シュートが決定機と同じ回数決まったら、ワンサイドゲームのラグビーの様な点差になっただろう。グディソンパークのエバートンサポーターは、初めて見る矢野明也が、昨日練習場にいた選手と別人だと分かった。そして矢野明也の前では、エバートンUー17の選手達は、なす統べなく全く無力な事も分かった。
エバートンの選手は、石のように動きを止められ、石ほどの障害物にさえなってなかった。
矢野明也は、自身のゲーム3点目、チーム7点目を記録すると後半20分に交代が告げられた。グディソンパークは、矢野明也を称えるスタンディングオベーションがわき起こった。アウェーチームの選手を称えるものとしては最高のものだった。明也は、少し照れながら片手をあげて挨拶する。
「明也、もっと堂々と挨拶しろよ」先に交代してベンチにいたケヴィンが弄っている。
明也は、ピッチを出ると、ベンチに戻らず、そのままドレッシングルームに直行する。そして着替えを済ませるとアーセナルベンチに行くこともなく、そのまま裏口に用意されていた車に乗り込みグディソンパークを後にした。日本の報道陣との接触を避けるために。
明也は、リバプールの空港からロンドンに帰って行った。
ゲーム終了後に矢野明也を待ち構えた日本の報道陣は、アーセナルのメンバーがバスに乗るところをブロックして選手達に突撃したが、矢野明也を見つけることは無かった。
翌日の日本のメディアに載った記事は、依然別人の映像が使われることがあった。日本の報道陣は、矢野明也のプレーをどう見ていたのだろうか?プレー映像は無く、プレーを分析する様なフットボールの内容に触れたコメントも無かった。ただ、矢野明也と言う日本人の少年が、Uー17イングランド代表に選出されたこと。所属するアーセナルがそれを否定する発表を行ったこと。結果だけがなぞられた報道と謎の日本人だけが強調されていた。何故日本人の少年がイングランド代表に選ばれたのか、謎多き矢野明也は、どこから来て、どこに行こうとしているのか?そんな記事が踊っている。何も取材出来てない報道だ。記事だけを読むと何の記事だか分からない。素晴らしすぎて呆れるほどだ。
ケヴィンは、日本の報道を見て明也に同情した。
「自分は日本に生まれなくてよかった」
「日本のメディアを見ているとフットボールとは別の次元で矢野明也が報道されている」
「フットボール界の宝と言える矢野明也を壊そうとしているとしか思えなかった」
矢野明也のイングランドU-17選出という報道があった翌日、アーセナルフットボールクラブは、クラブサイトに公式発表を掲載した。
75-76シーズンの終了時点で、矢野明也とプロ契約を締結する。76-77シーズン、矢野明也は、アーセナルBチームに所属し、トップチームの予備登録選手にするという発表だった。
そして、クラブ公式サイトに矢野明也の写真が公開された。
(続く)