矢野明也のファーストプレーは、守る側からすると受け入れがたいやられ方だった。だが、それは、疲れが見えた相手選手の闘志を蘇らせた。「こいつには負けられない」そんな気持ちがアカデミーの選手達にエネルギーを注入していた。明也のグループがボールを保持してパスを繋いでいる。相手グループは、今までよりも数段寄せの圧力が厳しくなった。明也は、常に2人のマーカーに注意を向けられている。中央に位置して相手の隙間に顔を出しながらパスコースを作ろうとしている。残り時間が殆ど無くなってところで、明也にボールが出た。今度は相手の3人が一気に寄せて、明也は囲まれる。手を出されたら簡単に捕まえられる距離だ。
「ファーストタッチの妙」最初のボールタッチが、プレーの質を決める。最初のタッチがズレてしまうとそこを狙われる。ディフェンスは必ずそこを狙っている。明也のファーストタッチは、僅かにボールが浮いていた。瞬間、ボールを突こうとする相手の足が出て来た。「もらった」そんな声が聞こえてきそうな自信に満ちた顔をする相手選手。だが、それは明也の罠だった。ボールを突こうと出した足はボールではなくピッチを踏みつけただけで、ボールも明也もそこにいなかった。明也のファーストタッチは、微妙にズレたモノだったが、明也はそんなズレも利用していた。明也は、瞬間、浮いたボールを他人には見えないスピードのセカンドタッチで更に浮かせ、チェックの足を交わしてディフェンスの届かない場所にボールを通過させる。抜かれた方は、何故抜かれたのかわからないだろう。
当然そうなるという確信した様な認識が、錯覚に繋がる。直線的に動くはずの時間が、明也の近くでは曲線に変わっているのだ。相手はスロー映像になって、普通に動くのは、矢野明也だけ、周りからはそう見えてしまう。明也は2人目と3人目のチェックも無いかのように、2人の間50cm程の隙間をスラロームして簡単に抜け出した。抜かれた2人は呆然としているだけだった。
そして、このセット終了の笛が鳴った。
最後の6:6のセットが始まった。明也のグループの選手は、明也の力を感じ始めていた。「リオン・ファントマの再来」というのは本当のことかもしれない。「この日本人の少年にボールを集めてみよう」そんな声が聞こえて来た。最後のセット、明也のグループのボール回しはそれまでの2回と違うものになった。ボールは、必ず明也を通過する。明也のプレーも前の2回とはうって変わって、ワンタッチプレーになった。明也だけが、別の次元からこの次元に現れてボールを繋いでいる。相手チームは、どうすることも出来ない。ズレた筈のパスがズレないで繋がる。明也を止めようにも明也の動きは、数歩先を行っている。明也を囲む相手グループは6人全員になっている。明也のグループは、フリーの選手ばかりになって、もはやゲームになってなかった。たまりかねたコーチの笛が鳴る。ボールを回され続けた相手グループにコーチの厳しい指摘と指導が入り、ゲームは終了となった。
明也が初めて参加したアカデミーの全体練習も最後のパートになって、キーパーを置かないハーフコートゲームになった。キーパーもフィールドプレーヤーとしてゲームに参加している。フォーメーションは、共に4-4-3という並び。赤ビブスと青ビブスに分かれた。明也は赤ビブスのチームで3の左になった。明也は6:6のゲームで初めの2回に当たった選手ばかりいる方に入っている。
グランドの外に、またリオン・ファンが姿を見せた。コーチ達と何やら話している。「リオンの再来というのは本当ですよ」コーチの話す声が聞こえてきた。「今日聞いた話なんだが、ホワイトハートレーンにリオン・ファントマが現れたと話題になっているそうだ」「それも日本人の子供だと」「リオン・ファントマが、何故ホワイトハートレーンに現れたんだ」リオンが、ホワイトハートレーンで話題になった日本人の子供のことをアカデミーのコーチに話している。