8月のロンドンは、とても夏と思えない。九里ケ浜にも秋風が吹き始める時期だが、冬の風が吹いているような気候だった。明也にとって3度目のイングランドだが、今回も輝く太陽は雲に隠れて見えない。ヒースロー空港からウェンブリーを経由してハイベリーヒルに入った明也は、その日、アカデミーには行かずに自宅の近くを自転車で探検していた。ホワイトボーイズのトレーニングウエアを着て。
「遠くには行くなよ」父にそう言われたものの、明也は、ハイベリーヒルから東に向かった。ハイベリースタジアムが右手に見える。ハイベリースタジアムを超えて更に進む。九里ケ浜では、ニューライジングサンを越えると海だった。明也の頭に九里ケ浜の風景が浮かんでいた。明也は北に向かった。やはり、ロンドンは大都市だ。見える景色が九里ケ浜とは全く違う。何処までも建物が続いて九里ケ浜のように地平線は見えなかった。車が全て外車だ。外車なのに右ハンドルだ。随分家から離れていた。ホワイトハートレーンの標識が出て来た。スパーズのホームタウンまで来てしまった。ホワイトハートレーンというのは、道の名前だと明也は初めて知った。
スタジアム近くの広場で大人達がフットボールをしていた。明也はこんな都会の中にフットボールを出来る天然芝の広場があることに感心した。草フットボールだった。日本でいう中学生位の人も数人いる。殆どの人がスパーズのレプリカユニフォームを着ている。「きっとスパーズのサポーターだろう」明也は自転車を停めて暫く眺めていた。
トッテナムホットスパー、通称スパーズ。ホームスタジアムは「ホワイトハートレーン」ノースロンドンのチームは、アーセナルのライバルチームでノースロンドンダービーの相手だ。こんな草フットボールでもスパーズの激しいスタイル、伝統のイングランドスタイルは生きている。強く速いキックとカラダのぶつけ合いは、真剣そのものだった。アーセナルのスタイルとはかなり違う。「これもフットボールだ」明也はそんなことを思いながらゲームを眺めていた。タイムアップの笛が響いた。前半が終了したようだ。
明也の元に中学生位と思った少年が近づいて来て、「一緒にやらないか」そんなことを言っているようだった。明也が着ていたホワイトボーイズのトレーニングウエアを目にして、フットボール少年と思ったようだ。明也は一瞬躊躇した。自分が明日からアーセナルのアカデミーに入ると知ったらどう思うだろう。「何処から来たの、そのウエアはどこのチームの?」そんな質問に、「今日、日本から来た。これは日本のクラブチームのものだよ」明也はたどたどしい英語で答えていた。誘いに来た少年は、15才だった。スパーズのサポーターだという事を得意げに話していた。年を聞かれたので明也は「13才」と1つ誤魔化して答えたが、「小さいな」誘いに来た少年は、そんなことを言ってピッチに明也を連れて行った。
当たり前だが、話す言葉は全て英語だったので所々しかわからなかったが、ポジションは4-4-2の2の1人をやれということになった。後半45分。「動けるところまででいいよ」そんな声が聞こえてきた。ゲームは大人も子供も真剣だった。中盤を省略したロングキックとアーリークロスが繰り返される。「オールドイングランドスタイルとでも言ったらいいのかな」日本では、ここまでやらないし、出来ないというくらいの直線的なフットボール。兎に角パワフルだ。同じようなスタイルのレイソロスが弱々しく思える程。そんな激しいイングランドスタイルのフットボールが草フットボールで見られた。「フットボールはキックボール」「止めることと蹴ることは上手い、普通の人達と思えない」「イングランドは奥が深いんだろうな」ピッチでゲームを眺め、そんなことを考えていると、明也にボールが回って来た。「スパーズの人達には絶対に勝たなければだめだろう」「ホワイトボーイズがレイソロスに負けてはいけないように」
明也にスイッチが入った。
(続く)