ハイベリーとホワイトハートレーンに突然現れたアーセナルの若き天才、その名はイングランドからヨーロッパ全土に広がり、Uー17リーグで無敗優勝した時のスーパープレーやアーセナルのレジェンド、リオン・ファントマの再来と言われ、次世代の中心選手として育てられたことなどがメディアに取り上げられた。プロ契約後にBチームに所属した事も空想記事で語られるようになった。リオン・ファントマが自身を超える才能に嫉妬してBチームに閉じ込めたなんて根も葉もない記事もあった。日本から来た時のことやアンヘル・ジアブロとの関係も描かれるようになった。メディアが勝手にライバル関係をでっち上げて、無責任な物語を作っていった。
日本から押し寄せるメディアは、事前準備や予備情報を用意せず、唯突撃報道を行い、あいも変わらず奇異行動を繰り返して、パパラッチよりも酷いものとしてイングランド中で嫌われ者になっていった。
矢野明也の情報はアーセナルによって徹底して統制され、日本のメディアが好むバラエティ情報の類いは公になることがなかった。矢野明也への個人的なコンタクトは一切が禁止されていた。明也本人が個人的なツブヤキを発信するSNSはUー17昇格後全て削除され、閉鎖されている。
矢野明也は、スタジアムに行かないと見られない存在になっていた。たとえアーセナルスクエアに行っても、限定された場所でしか見られなかった。それが矢野明也への期待を膨らませ、スタジアムに出向くサポーターを増やしていった。しかし、矢野明也はトップチームに昇格してから、アウェーの遠征には帯同したが、ベンチ入りすることは無く、チーム席でゲーム観戦が続いた。アーセナルのゲームはピッチよりもスタンドに注目が集まるようにもなった。スタンドに来る人たちは、一目、矢野明也を見たいと思うようになった。そんな矢野明也を取り巻く環境は、U-17で無敗優勝した頃をはるかに凌ぐ喧騒となっていた。
しかし、当の本人は、至って自然体、周囲の騒がしさをどこ吹く風で、自宅からハイスクールに通い、どこにでもいる普通の16歳だった。明也は、トップチームに合流してから、グーナーズハウスを出て、自宅に戻っていた。トップチームは、午前中にフィジカルケアや個別の技術トレーニング、午後はチームトレーニングとなり、殆どの日々がクラブに拘束されるようになった。そして、メディアがハイスクールをマークし始めると、ハイスクールに普通に行くこともできなくなった。日本からやって来る野次馬の様な人たちによって、矢野明也に普通の高校生でいることを許さなかった。ハイスクールに通うことは不可能なほどに騒がしくなってしまったから。だから、一層、矢野明也はフットボールの生活に没頭し、学問は、個人レッスンが施され、フットボールが生活の大半を占めるようになっていた。
アーセナルにおける矢野明也は、唯一無二の存在だった。矢野明也はアーセナルの宝物に留まらない、フットボール界の宝物になると信じられていた。
アーセナルトップチームは、プレミアのタイトルから遠ざかって5年以上が経つ。ヴィオラがいた時代にリーグとリーグカップ、FAカップの国内タイトルを独占して以来、タイトルから見放されている。今シーズンは、CL出場権を獲得したもののストレートインではない。予備予選をギリギリ勝ち抜いていた。しかも、ノースロンドンの戦いは、このところスパーズに遅れを取っていた。