7月最後の日、明也を乗せたボーイング797は成田空港に到着した。ロンドンで起きた長い1週間は、嵐の様に過ぎて行った。明也は、九里ケ浜に帰って何を言えばいいのかわからなかった。石木さんに会って今回のことを聞きたかった。祖父にも聞きたかった。でも、U−12の仲間達に説明する言葉が見つからなかった。何を言っても言い訳や嘘に聞こえてしまうだろ。新シーズンは、Jのクラブにも勝利してタイトルを獲り尽くそうと力を入れて誓い合ったのは、6月だった。まだ2ヶ月経っていない。
空港から圏央道を通りレイソロスタウンの北インターを出る。空港から30分でレイソロスタウンを通過した。時差ボケもあったが、いつもより何倍も早いと感じた。レイソロスタウンからニューライジングサンに向かう道に出る。レイソロスタウンに住んでいる頃、明也が自転車で通った道だ。住宅街を抜けると水田地帯が広がっている。そして東の地平線にニューライジングサンが姿を現す。ニューライジングサンはいつもと変わらない。ずっと変わらないこの風景は、明也の気持ちを少しだけ落ち着かせた。「ここには絶対に帰ってくるから」「離れるのは、少しだけだから」明也は自分にそう言い聞かせた。
祖父が家の前で待っていた。祖父は、直哉から今回の件を全て聞いていた。「明也は、ただ、何も知らされずにロンドンに行って、流されるままにアーセナルとプロ契約をしてしまったと思っている」「ホワイトボーイズの仲間達に何も言えずにこうなったことを後悔している」そして、何よりも「裏切者」と言われることを心配している。
「ただいま。じいちゃん。帰って来たよ」明也は、できる限り普通に言った。祖父の方が、声を詰まらせて「お・か・え・り、明也」と言った。祖父の方が、今回の件を悔いているようだった。自分が送ったDVDが明也を苦しめることになった。出来レースだったことは、後から聞いたことで祖父は知らなかった。明也の才能を信じていた祖父は、出来レースでなくても受かると信じていたのだから、結果は同じだっただろう。それでも明也が、ホワイトボーイズに対する不信感を持ったのではないか不安だった。
「ライジングサンに行ってくるよ」明也は、いつもと同じように、自転車で出て行った。
ホワイトボーイズの練習場ライジングサンは、翌日から始まる新シーズンの練習に向けて整備が終わっていた。グランドキーパーもクラブの関係者もまばらなライジングサンにボールを蹴る姿があった。ホワイトボーイズの白いトレーニングウエアの人が一人でボールを蹴っている。ホワイトボーイズ代表の石木克人だった。明也は、初めて石木克人がボールを蹴る姿を生で見た。今年55才になった石木克人の蹴るボールは、スピードこそ無かったが、コントロールされたボールがゴールに吸い込まれていく。汗びっしょりになっている石木克人のプレーを、明也はじっと見ていた。
「帰って来たか、明也」石木が声を出した。「ロンドンはどうだった」「リオンには会ったか」そう言って、明也の方を向いた。「アーセナルと契約しました」「リオン・ファントマが契約の席にいて、直接話をしてくれました」明也は、出来レースのことも、石木が話に出てきたことも言わずにそれだけ言った。「リオンはお前に魅了されていたよ」「リオンでなくてもお前を見たら皆そうなるだろうがね」石木はそう言うとしばらく黙って明也を見ていた。「明也、ホワイトボーイズのことは気にしないでロンドンで輝け」「そして、いつかここに帰ってきなさい」それだけ言って、またボールを蹴り始めた。
「石木さんっ。今回のこと・・」明也は、何か言いかけたが、「一緒にボール蹴っていいですか」そう言い直して、石木と並んでボールを蹴り始めた。二人の会話は、これ以上なかった。お互いが何かを察したように無言まま、ただボールを交互に蹴っている。
「明也の移籍が分かったら、九里ケ浜は大騒動になるだろう。でもそれは自分が何とかしよう」石木は、そう呟いていた。
(続く)