契約についての確認が進んでいく。グーナーズハウスでのことやアカデミーでの練習についてのことなど詳細が明らかになっていく。伏せられていたカードが開けられていく様に。ロンドンで通うことになるハイスクールは、姉も通う伝統校で日本人も多く、アカデミーのすぐそばにあった。
日本を立つときは、ロンドンに住むと決まっていた訳では無かった。それにしても準備が良すぎる。1ヶ月前、九里ケ浜にいる時、父から連絡があった。強い調子の口調に戸惑った明也だったが、今、その理由が分かった。「全てが、決まっていたんだ」「もう九里ケ浜には、ホワイトボーイズには、戻れない」「アカデミーに入って、グーナーズハウスに住むことになると」「九里ケ浜に残る選択なんて始めからなかったんだ」
明也は、確信した。
そして、契約金の話になった。当初の契約準備金は、500万ポンド。5年後の本契約時の契約金は、税金納付額を除いて1000万ポンドをアーセナルが支払う。ポンドという単位がよくわからない。更に、ホワイトボーイズに矢野明也の本契約金と同じ金額を移籍金としてアーセナルが支払う。ホワイトボーイズにも移籍金が支払われる。本契約のオプションとして、5年後の状況を双方が確認して金額の変動は可能になっていた。
グーナーズハウスでの費用と学校にかかる費用は全てアーセナルの負担だった。練習生が契約するのは大袈裟だと思っていた明也は驚いた。お金の単位が把握出来ないモノだった上に矢野明也が練習費用を払うのではなく、全ての費用をアーセナルが支払うことになっているからだ。
禁止事項に話が進む。他クラブでの練習は禁止。他クラブの選手としてゲームに出場することは禁止。母国の代表チームの練習は、事前に招集要請があって、アーセナルが許可したもの以外は全て禁止だった。肖像権は、アーセナルの承認を得たもののみ個人の契約を許可する。メディアとのコンタクトは、アーセナル広報が同席する以外は禁止。SNSでのコメント書込み等は全て禁止。禁止事項が限りなく続いていた。シューズの使用とサポートだけは、自由だった。違約金は、全ての契約金の合計額の英国に於ける法的制限の上限係数となっていた。
矢野明也がアカデミーに入団するとは、練習生としてではなく、プロ契約を結んだ選手として、アーセナル所属選手になることだった。年齢制限を巧妙にクリアする様な条項も散りばめられている。日本からスカウト(無理やり引き抜いた)したのではなく、イングランド、ロンドン在住の外国籍の少年が、アーセナルアカデミーに入団するというものだった。
明也は僅か12才でプロ契約を結ぶという異例のことも、リオン・ファントマが直接契約に立合う程に期待をしていることも無関心の様だった。何十年に1人の選手になるいうチャンスを得たのに、仲間達に何も言えずに九里ケ浜を出て来たことを後悔していた。
始めから仕組まれていた出来レースの入団テスト、ホワイトボーイズとの移籍金まで決まっていた契約。入団までの手続きが全て周到に準備されていた。この1ヶ月、明也はどうすればいいのかずっと悩んで来た。でも悩んだことなど意味のないものだった。此処まで決まっていて、契約を拒否することは無理だと思った。石木さんも関係しているこの流れを自分が断ってしまうとホワイトボーイズに迷惑をかけてしまう。そんな思いでどうにもならなくなった。
ホワイトボーイズの選手ではなくなる。ニューライジングサンは、アウェースタジアムになってしまう。生まれたところがアウェーになったのが、7才だった。でもあの時は、自分が希望し、選んだ道だった。12才になって、今度は育った場所、大好きな九里ケ浜が、アウェーに成ろうとしている。矢野明也をロンドンに導く力は、大きくなり過ぎていた。
(続く)