小学生が中学生の中に入ってゲームの流れを変え、決定機を演出して、勝敗を決めてしまった。そのホワイトボーイズの宝物は、レイソロスの幼児フットボールスクール出身でレイソロスタウンに住む、とても小さな少年だ。
矢野明也という名前は、ホワイトボーイズのファンにとって、どこかで聞いた様な響きがあり、オールドファンの話によく出てくる、80年以上前に実在した伝説のフットボーラー、矢野晃を彷彿させた。矢野晃のことを覚えている人は、もうほとんどいない。だが、ホワイトボーイズのオールドファンにとって、矢野と言えば、「晃」だった。当時のホワイトボーイズ練習場が、ライジングサンと命名されたのは、「晃」という文字から来たものだ。晃の息子、矢野拓哉は、父よりも大きな才能があると期待されていたが、その期待の大きさに押し潰されてしまった。ストイックな姿勢の無理がたたり、トップでの選手生命は、極々短いものだった。その矢野拓哉がスパイクを脱いだ時から50年の月日が流れ、拓哉の上の世代だけが知っている矢野晃とホワイトボーイズの宝物として登場した矢野明也が同じ血を持つことを知る人は、数えるほどだっただろう。だが、2人の関係は、次第に明らかになっていく。
矢野明也は、U−13戦の翌日から祖父の家に住むことになった。母も姉も一緒だった。レイソロスタウンの矢野明也の家の周りは、いつも人集りが出来て異様な雰囲気だった。父、直哉のいない場所に住むことは、ほとんど不可能と言えた。
矢野と矢野の家族は引越しと転校を短時間で済ませ、ホワイトボーイズホームタウンにやって来た。矢野明也の父と祖父、そして矢野晃が育った場所、九里ケ浜を望む真っ平らな場所に。祖父の家の屋上に登り、東を向くと遥か遠くに水平線が見えた。そして地平線を隠す様に少し左側に、ニューライジングサンがそびえていた。冬の日差しの中でニューライジングサンは、キラキラ輝いていた。潮の香りがする。東風は今日も海の匂いを町に運んでいた。以前、明也は潮の香りのことを祖父に話したことがあった。その時祖父は、「外から来た人はみんなそう言うんだよ」と言っていた。この地に住む人には、この空気が普通だった。明也は、自分がまだこの地の人になっていない気がして、少し寂しい気がした。矢野明也は、矢野晃、祖父拓也、そして、父直哉の通った一の浜小学校に通う様になった。
生まれて初めて引越しを経験した矢野明也。これまでは、レイソロスタウンからライジングサンまで自転車で通った10㎞の道から、祖父の家から僅か500mの道に変わった。10㎞の道は、とても長い道のりだったが、途中途中で四季を感じる道だった。春は、桜の咲き誇る公園の脇を通り、新緑の空気を感じる田園地区を抜けていく。夏は、照り返すアスファルトの熱と格闘しながら田園地区に到達すると向かい風となった強い東の風を感じ始める。秋になると実った黄金色の稲穂が日々刈り取られていく景色があった。冬、強くなる北西からの風は、追い風となりライジングサンに向かうスピードを上げ、枯れて色を無くした平らな大地の先にそびえるニューライジングサンのシルエットが浮かび上がった。どの季節もレイソロスタウンの市街地を抜け、田園地区に入ると東風に乗って潮の香と波の音がどんどん強くなっていく。目を閉じても空気と音がホワイトボーイズのホームタウンに入ったことを知らせてくれる。
レイソロスタウンに吹く風とホワイトボーイズの町に吹く風は違う色をしていた。空気の違いはフットボールのスタイルも違うものにしていた。ライジングサンの傍に住むことになった矢野明也は、いつかこの空気と音に気付かなくなるのかわからなかった。祖父が言う、「外から来た人の言葉」と思うようになるのだろうか。九里ケ浜から吹く風は、そんな明也の気持ちなどどこ吹く風でニューライジングサンの屋根を鳴らしていた。
(続く)