アンヘルにとって矢野明也は、忘れられない名前だろう。アーセナルで天才という名を独り占めしていたアンヘルが、同じ歳の日本人に押し出された形で昇格を止められたことは、許せなかったのだろう。アンヘル・ジアブロが、12才にして初めて味わった屈辱だった。
まだ12才の選手が味わう屈辱は、それほど大きなものではなかっただろう。成長過程にある段階では、その屈辱を乗り越えてこそ偉大な選手になる資格を得るはずだ。屈辱を屈辱と思わない感覚も重要なのかもしれない。アンヘルが矢野明也というもう一人の天才に普通に出会っていたら別の歴史が刻まれていたのかもしれない。
アンヘルにとってマンチェスターは、素晴らしい場所だった。フットボールをする最高の環境が与えられて、私生活でも家族が近くにいるところになった。ロンドンでは家族と離れて暮らしていたアンヘルにとってマンチェスターは名実共にホームになっていた。そしてオールドトラフォードは、庭になった。ユナイテッドサポーターは、憎っくきアーセナルを捨ててマンチェスターにやって来た愛らしいアンヘルを直ぐに好きになった。相手チーム に恐怖を与えるちっちゃな悪魔、「リトルデビル」がアンヘルの代名詞になっていた。
アンヘルが明也をライバル視する気持ちは、他の人には分からない。ハイベリーで負けた初戦、恐ろしいプレーをする矢野明也に驚いたが、個人的に負けたなんて思っていない。オールドトラフォードでは絶対に許さないと気持ちが入っていた。
個の能力では、矢野明也とアンヘル・ジアブロの差はほとんど無かっただろう。共に左利きでアタッカーだ。アンヘルの方がよりストライカー的で、明也の方がセカンドストライカーや攻撃的MFになるかもしれない。得点力は、遜色無い。ボールコントロールは、遜色無い。ゲームメイクは、明也が優り、ペナルティーエリア内の強引さはアンヘルが優っている。アンヘルは、小さいのにヘディングも強い。
リオネル・メッシもリオン・ファントマも若くデビューしたてのころは突破力と決定力が売りだったが、時を経てプレーメーカーになっていった。アンヘルは若い頃のメッシやファントマに似ているし、明也は熟成したメッシやファントマによく似ている。
アンヘル、明也の2人は、まだ15才の少年だ。これから先どんな未来があってどんな進化を遂げるのかは分からない。既にメッシやファントマの域まで到達した2人の未来に周囲の期待は高まるばかりだった。
だが、15才のアンヘルは、からだも子供だったが、心も子供のままだった。そんな幼い心が、アンヘルのフットボールを個の戦いにこだわるものにしていた。それがアーセナルとのリーグ戦、オールドトラフォードで明らかになってしまう。アンヘルが気づかなかったもの、まだ身についていなかったものを矢野明也のプレーがアンヘルを覚醒させた。天才アンヘル・ジアブロは、もう一人の天才、矢野明也によってフットボールの異次元の世界に導かれる。
Theater of dreams 夢の劇場は、アンヘルにとって異次元の扉を開いた場所になった。ケヴィン・クランツが言った「俺に任せろ」という言葉が、ケヴィンにピンチを与え、アーセナルの躓きとなったのもフットボールの「綾」かもしれない。覚醒したアンヘルの力に、ケヴィンは為す術がなかった。
2076年1月、イングランドU-17リーグ、マンチェスターユナイテッドVSアーセナルのゲームは、北風が吹く、オールドトラフォードで始まった。
(続く)