矢野明也は、初めてホワイトボーイズの一員としてニューライジングサンにいた。ホワイトボーイズの少年達はボランティアとして、いやホームチームの一員としてゲームをサポートするのが決まりになっていた。ドリームフィールドのスタンドでゲームを見ていた去年とは随分違っている。矢野は幼心ながら、そんな想いを巡らせていた。芝が規則的に刈られたニューライジングサンのピッチが綺麗に見えた。矢野はいつかこのピッチに立ってゲームをしたいと思った。
毎年、ダービーの前日にはホワイトボーイズとレイソロスの年代別ゲームが組まれる。ニューライジングサン脇にある練習場(通称ライジングサン)が会場。U−10からU−17まで8つのカテゴリーがフレンドリーマッチという名称の真剣勝負をする。
矢野は、まだU−7だったのでそのピッチに立つことは無かった。矢野は技術的に、U−12でも対応出来たが、如何せん体が小さ過ぎたので。
各年代のゲームは下の年代程レイソロスが優位で年代が上になる程、力は拮抗する。フィジカルとスピードが特徴のレイソロスは、どの年代もそんなメンバー構成となり、U−12位までは、ホワイトボーイズを圧倒する。だが、U−14位になるとホワイトボーイズが体の成長と共に結果も追い付いてくる。それでも下の年代から負け続けてきたホワイトボーイズの敗者のメンタルが払拭されるのは、U−16になった頃からになる。
今年のフレンドリーマッチもU−13までレイソロスの圧勝。U−14とU−15は共に3対3のドロー。ホワイトボーイズが常にリードする展開ながら、土壇場で追いつかれ引分けになる。U−16は、元々ホワイトボーイズの当たり年と言われた代で、4対0の完勝だったが、ファイナルU−17は、点の取り合いとなり、4点差を追いついたレイソロスの勝負強さだけが印象に残ってしまったゲームだった。ホワイトボーイズはホームながら、1勝3分4敗となり、いつもより勝ちが少ない年になってしまった。ホワイトボーイズサポーターにとって、翌日のダービーに悪い流れが繋がらないか心配される1日になった。
ホワイトボーイズのサポーターは、ゲームの内容が良くないと満足しないのでただ勝っても褒めない。だが、良いプレー、驚かせる技術を見せられと直ぐに反応する。選手名をコールする大声援と「We are the White boys」の大合唱が起こる。そんなホワイトボーイズサポーターでさえリードして追いつかれた3ゲームは、ホームサポーター席から滅多に出ないブーイングが出る程だった。
レイソロスサポーターは勝つゲームを見に行くが、ホワイトボーイズサポーターは、良いプレーを見に行く。そんなホワイトボーイズサポーターでさえ、リードしながら劇的な引分けになったゲームは許せなかった。愛情が深まる程に愛情の裏返しとなる怒りは凄まじいものになる。この年のフレンドリーマッチはそうなってしまった。こんなゲームをしてしまった年代は、暫く立ち直れない。それでもこんな年代程サポーターに愛され地元に、ホワイトボーイズに長くいるようになるから、可笑しなものだ。当たり年となったこの年のU−16年代は既に主力3人がプロチームに引き抜かれてしまった。当たり年と言われる年代程、地元からは遠い存在になる。
矢野は、まだ将来を考える時期でも無かったが、名前をコールされるニューライジングサンの雰囲気を味わいたいと思った。
(続く)