サッカーが上手い選手というと一番に思い浮かぶのは、ドリブルが上手いことが上げられる。ドリブルが上手いとキープできて時間が作れる、次のプレーにより自由な選択ができる、自分のマーカーを抜き去ることで数的優位も作れる、そして何よりシュートを打つチャンスが生まれる。こんなことからドリブルが上手い選手はチームの中で中心プレーヤーとなり、サッカーが上手い選手と言われる。
ドリブルが上手い選手で最初に浮かぶのは、今ならメッシ。かつてはマラドーナやペレといった選手が上げられるが、マラドーナもペレもドリブルだけではないのでドリブルが上手い選手と言うよりもっと大きな存在になるが。ドリブルで相手を抜くプレーで言えば、マラドーナやペレが前を向いた状況で1対1を仕掛けたらDFはほぼ止められない。良くてファールだ。全盛期のペレは、ベッケンバウアーを子ども扱いし、マタ抜きをしていた(マンチェスターユナイテッドのマタを抜いたわけではない)。マラドーナは伝説の5人抜きが有名だが、このときは相手がイングランドだったので少し微妙だが、このときのドリブルで凄いのは、マラドーナはフェイントというかフェイクを使っていないことだ。DFの足が届かないところにボールを置き続けて進んでいることだ。メッシもそうだがアルゼンチンの選手はこのドリブルがとても上手い。ブラジルの選手は、ネイマールやロナウジーニョ、古くはガリンシャに代表されるように、またいだり引いたりするフェイクを入れ相手を騙すようなドリブルが得意だ。同じ南米でもドリブルのやり方が違う。どっちがいいとはいえないが、マラドーナやメッシのドリブルのほうがDFとしては対しづらい。分かっていても届かない、止められない。ネイマールやロナウジーニョのドリブルはフェイクに引っかからなかったら抜かれない、時間を掛けさせることができる。ボールが生きているように動いているドリブルか、ボールが慣性の法則で進んでいるドリブルの違いだ。ネイマールクラスになると予測を超えた動きをするので引っかかることになるし、ペレクラス(歴史上ペレを超えた選手はいないか)になるとどうにもできなくなるかな。ドリブルが上手いことはサッカーのレジェンドとなるためには絶対条件であり、サッカーが上手いこととイコールになる。だからドリブルはサッカーの華やかなプレーの代表になる。
ヨーロッパの選手でドリブルが上手い選手(ドリブラーと言われることが多い)というと、今はCロナウド、ロッペン、Mロイス、少し前だとフィーゴ、古くはジョージBか。ほとんどがウィングというかサイドプレーヤーだ。皆スピードがある。メッシやマラドーナより足は速い。でもドリブルのプレー速度はDFとの相対スピードと緩急によって見え方が決まるからメッシは早く見える。マラドーナは微妙なところあるが。ヨーロッパの選手は、身体能力を最大に生かしたドリブラーが多く、足が遅かったら普通の、並みの選手的になっていただろうと見えてしまう。それでもヨーロッパのドリブラーは、カウンターアタックにおいてその力が最大に引き出される。ロングボールによるカウンターでも今はやりの言葉になった「ショートカウンター」でもそうだ。カウンターにおけるロッペンの切れ味は驚きとしか言えない。それでもヨーロッパ型のドリブラーはサッカーが上手いという表現をあまりしない。ヨーロッパにはゲームメーカー、パサー(日本でいう司令塔か)と言われるMFがいるからだ。
背番号10番が南米の上手い選手の代表で、ヨーロッパでもその点は同じだが、ヨーロッパのドリブラーは背番号でいうと7番をつけることが多い。南米ではドリブルの上手い選手はアタッカーになり、ペレの時代から10番をつける。そしてプレーメーカーもする。ヨーロッパはドリブルの上手い選手は同じアタッカーだが、プレーメーカーは別にいることが多い。そんな違いだ。
サッカーが上手いこと=ドリブルが上手いことの話が、ヨーロッパと南米の認識比較になってしまった。対処法ができてきたとはいえ、パスサッカーが全盛の時代、ダイレクトプレーやコンビネーションプレーができ、パスを出せる選手をサッカーが上手いと言うようになった。トップ下のファンタジスタは絶滅危惧種になったが、MFが主役の戦術スタイルは時代の流れだ。パサー=サッカーが上手い選手を否定するものではないが、ドリブルが上手いこと=サッカーが上手いことは、未来においても絶対に変わらない定義だ。ワンタッチプレー、ダイレクトプレーは美しい。相手を抜き去るドリブルはもっと美しい。究極の11人抜きゴールをする選手を見たい。それが真のドリームプレーだ。ドリブルの上手い選手が生まれ続けることがサッカーの未来のため、進歩のためには絶対に必要なことだ。育成とはサッカーの上手い選手を生み出すもの、そのためには、ドリブルの上手い選手を作り続けることが重要だ。そんな育成であって欲しい。