ディ・ステファノを、マラドーナを、そしてリオネル・メッシを生んだ国。30年サイクルで世界no.1を世に送り出してきたのがアルビ・セレステ・アルヘンティーナだ。ペレの時代であった60年代(1970まで)はセレソンに遅れをとったが、その時期を除けばずっとアルビ・セレステ・アルヘンティーナがスーペルクラックを誕生させてきた。
神と言われる領域に達したスーペルクラックは、歴史上5人しかいない。ディ・ステファノ、ペレ、クライフ、マラドーナ、そしてメッシ。5人中3人がアルビ・セレステ・アルヘンティーナだ。セレソンはペレのみがその領域に到達したにすぎない。
セレソンの国は、フットボールにおいて無限の裾野が広がる国であり、世に出ないクラックが無限にいる。道端でボールを蹴るおじさんがその辺の国の代表選挙よりも上手い。セレソンの国は促成栽培と熟成前の乱獲が繰り返されている。だから一瞬で消えるクラックは数え切れない。アルビ・セレステ・アルヘンティーナでも同じことが起きている。それでもトップレベルに到達する選手の数はセレソンを圧倒している。
セレソンとアルビ・セレステを分けるものは技の質にある。セレソンはジンガに代表されるように技そのものを追求する姿勢が染み付いている。技のバリエーションが豊富でボールが体から離れてもコントロールする。しようとする。アルビ・セレステは必殺技を持っているが、技の種類は多くない。
技とは基本のボール技術、止める、蹴るに加えて相手を抜くための技や相手からボールを奪う技のこと。セレソンは自身がボールを持って技を出したら絶対優位になる。だから、攻撃力が高い。アルビ・セレステは相手のボールを奪う技が恐ろしい程強い。カテナチオの国の比ではない。セレソン得意のジンガは通用しない。フェイクに騙されない。だから、アルビ・セレステは守備力が高い。
国のスタイルと言えばそれまでだが、セレソンはボールを持ちながら、トリックステップで相手を騙して進む。アルビ・セレステは強力なボール奪取力の隙間を縫うように進む。ネイマールとメッシのドリブルを比べてみると異質のものに見える。それは、技が生まれた背景に違いがあるからだ。
セレソンは技のバリエーション、多様性を求め過ぎて質が停滞した。技のバリエーションで対抗しなかったアルビ・セレステは技の質を高め続けた。そしてマラドーナを生み、メッシを生んだ。今、世界のトップはアルビ・セレステの国が生んだアタッカーばかりだ。後ろの選手を見てもマスチェラーノに代表されるバロンドール級がいる。最終ラインはポカをする選手がいるのが面白い。ラテンの血と言えるかもしれない。
マラドーナからメッシまで、多くのマラドーナ二世が登場して来た。オルテガ、アイマール、リケルメ、テベスなど挙げればキリがない。リケルメはマラドーナの才能を超える選手だった。もっともっと評価されていい選手だ。そして、メッシの登場で二世論は収束した。今度はメッシ二世論が語られるだろうが、次の神領域選手の登場はサイクルで言えば30年位かかるはずだ。来年30歳になるメッシの次の神領域選手は、まだこの世に生を受けていないかもしれない。だが、次もアルビ・セレステの国がその選手を生むような気がしてならない。