昨日、東の国でインターナショナルマッチがあった。メディアはアジアの盟主を争う戦いと力んで伝えていたが、内容はお粗末な興行試合でアムステルダムから14時間かけて見に行く価値は無かった。敢えて失礼な言い方をすれば、当に並みのアジアレベルだった。
代表は勝利が絶対要素だが、昨日のゲームで勝利以外に東の国の代表が示したものがあったのか疑問だ。ワールドカップは今年のことなのに今ではかなりの時間が経過したようにおもえるが、東の国の代表メンバーは、ワールドカップのメンバーとほとんど同じように見えた。長友と内田が怪我で不在ということだが、2人を入れるとワールドカップのメンバーに酷似している。監督が変わったようだが、監督が変わっても選手が変わらないのは、この選手が現時点ではベストチョイスということか。ワールドカップで結果は出なかったメンバーであるが。アジアカップという世界の地域カップでは最も低いレベルの大会であれば通用するという意味か。代表の世代交代はやり方とタイミングが、いつも、どんな国でも難しい。東の国が世代交代を必要としているか意見が分かれるはずだ。代表は勝利が絶対必要だ。好調な選手を組合せ短期間の準備で結果を出さなければならない。それが監督の役割であり手腕だ。監督が選ぶ国の代表選手はスタイルの違いで若干の差は出るが、大差はない。東の国の今の代表メンバーはこれがベストであるが、結果が出る出ないは別の話になるものだ。
サッカーはいつも相手がいる。相手がいるから相対的なものになる。絶対はない。自分達のサッカーをさせてもらえない相手に自分達のサッカーが出来ないから負けたと言わない。力通りの結果だったにすぎない。ドイツ代表はスペイン相手にポゼッション型のパスサッカーはしない。ブラジル相手にはしていたように見えたが。相性もあるが、相手が得意な形にしない。真に強いチームはそれが出来る。スペインでさえコンディションの問題という言い訳がつくが自分達のサッカーができなかったワールドカップだった。自分達のサッカーができるできないに関わらず勝つのが真の強国だ。東の国の代表は世界的には並の中位、アジアではトップクラスだが、トップではない。代表のレベルポジションを世界の国内リーグに例えてみるとどの位か。プレミアではない、プリメーラでもない。まだとても。ヨーロッパのトップリーグではありえない。するとJレベルになるか?J1でもない気がする。J2で優勝争いをしているレベルか?今の世界トップがマドリとするとマドリとベルマーレ位の違いになるか。クラブと代表は別物だがそのくらいのレベルだろう。昨日の結果はそれが的外れではないことが見えた。はずだ。
東の国は確かに進歩している。20年前は学生サッカーのように幼い純真なものだった。10年前は大人になりかけていた。しかし、チームとしては、アマチュア以上、プロ未満のようだった。今は少なくてもプロのレベルになった。進歩の速度は速い。でもまだトップリーグの力ではない。東の国の代表のポジションはそんなレベルということを認識していないと見方を誤る。興行という親善試合でチーム力を見ることは危険が付いて回る。夢を見るなという話ではないのでマイナス思考になることもない。進歩している。
昨日のゲーム前半、東の国の代表は、ミスが目立った。つまらないミスばかり連発していた。これがプロかと目を疑った。でも相手がその度にミスをしてくれた。これも信じられないシーンばかりだ。アジアの盟主争いとはこんなレベルかと。ブラジルやウルグアイはどうだったか。ミスを見逃してくれなかった。大きなミスは当然見逃してくれない。些細なミスも致命的なミスに変わってしまったはずだ。そして前半でゲームを決められていたはず。昨日も前半からケーヒルが出ていたらどうなっていたか疑問が残る。アジアの盟主と力んで言うゲームではなかった。但し、東の国は進歩している。未来は明るいと信じている。アジアの盟主は力んで、興奮してやらずとも普通にとって欲しい。世界の強国に肩を並べる代表の国になって欲しい。FIFAランクは10位以内に定着して欲しい。ポルトガルやベルギークラスの国が東の国に勝ったら、番狂わせが起きたと言われるくらいのレベルになって欲しい。
サッカーはミスと偶然性がつきものだが、ミスを予測しコントロールする、そして偶然を支配することができる選手が生まれる国になって欲しい。そう願っている。
おまけの話:もう1人のコーチ伝説
東の町にユース年代を指導するお酒の大好きなコーチがいた。伝説のコーチが育てた伝説のプレーヤー達はユース年代になると、このもう1人のコーチが指導するチームに進んだ。伝説のコーチが育てた伝説のプレーヤー達は、ずっとJr.ユース年代にやっていたサッカーをユース年代になっても続けていた。続けようとしていた。自分達の技術を信じて前の年代で獲ったタイトルをまた獲れると確信していた。でも現実は甘くなかった。この年代のサッカーは勝利至上主義の現実的なもので楽しいサッカーは異質なものだったから。それでももう1人のコーチは伝説のプレーヤー達がずっとやってきた個人技とコンビネーションを基本にした楽しいプレーをするチームを作ろうとした。でも伝説のプレーヤー達は、ユース年代になるとそれまでやってきた楽しいサッカーができなかった。勝利至上主義にのまれ本来の力が出せなくなっていた。結果が出なくなってしまった。そして伝説のプレーヤー達は輝きを失っていった。もう1人のコーチも、伝説のプレーヤー達もこんはずないと思い続けた。伝説のプレーヤーは皆上手かった、驚くプレーが出来た。初めのうちは。でも何かが足りなかった。足りない何かに気がつかなかった。気づかないまま時間だけが過ぎていた。最後は楽しいサッカーもできなかった。力を出せない選手になっていた。守備を固めたワンルートサッカーの壁を乗り越えることができなかった。つまらないサッカーとバカにしていたサッカーに負けてしまった。原因はサッカーのスタイルじゃなく自分達の中にあったことに気がつかなかった。いや、気づいていたけど直せなかった。楽しいサッカーが子供のままのサッカー、未成熟なサッカーになっていたことははっきりしていた。もう1人のコーチはきっとわかっていた。でも直さなかった。純粋に楽しいサッカーが見たかったから。そんなサッカーが勝利至上主義のサッカーに勝つところを見たかったから。ワールドカップが夢の中にあった時代に未来のサッカーをやっていた伝説のプレーヤー達。そんな楽しいサッカーを夢見ていた自分勝手な少年達を指導したもう1人のコーチはきっとお酒よりもサッカーが好きだった。楽しいサッカーが好きだった。キックオフからダイレクトプレーが連続して相手にボールを触られずにゴールする、ノータッチゴールが生まれたのは一度や二度ではなかった。ペナルティボックスでのダイレクトパスの交換から股抜きシュートというゴールもたくさんあった。美しいシーンは、挙げればきりがない。そんなサッカーが見たかったもう1人のコーチがワンルートサッカーを強制していたら記憶に残らないチームになっていただろう。伝説のドリブラーは、普通のドリブル好きだった。伝説のストライカーも普通のFWだった。今でももう1人のコーチのかすれた甲高い声が聞こえてくる。「はたいて、はたいて」「受けて、はたいて」「今日は何人シンデレラ」「つないで、つないで、蹴らずにつないで」「クリアはだめ、みかたにはたいて」「しゅ・う・とを打て」。もの1人のコーチはいつも酔っていたが、サッカーが好きだった。伝説のプレーヤー達の楽しいサッカーが好きだった。もう1人のコーチも伝説だった。