初秋のニューライジングサンは、夏と変わらない強い陽射しに焼かれて蜃気楼に包まれている。だが、そこを吹き抜ける東の風は、どこか秋を感じさせる乾いた空気を運び、少しばかり薄くなった潮の香りを運んでいた。海水浴シーズンの喧騒が過ぎ、ひとときの静けさを取り戻した九里ケ浜の町は、新たなフットボールシーズンを迎え、この町本来の活気が出始めていた。ライジングサンの練習ピッチ脇にかかった横断幕が、この町に新たな力を与える理由だった。「祝U-15リーグ優勝」という横断幕が、東の風に揺れていた。
U-15のカテゴリー、矢野明也と同年代の子供達は、15才になっていた。矢野明也と共にホワイトボーイズの宝物と呼ばれたこの年代は、驚くべき成長を遂げ、この町のフットボールが国のトップに立っていた。そして、この年代がこれから開くことになる明るい未来に、期待は、膨らむばかりだった。
U-15世代の活躍で歓喜に溢れた九里ケ浜の町では、矢野明也がプレミアリーグの下部組織のエースになり、ハイベリーのピッチでデビューしたことは知られていなかった。それは、ホワイトボーイズの極僅かの関係者に限られていた。ホワイトボーイズでは、矢野明也がホワイトボーイズを退団した時からその話題に触れることはタブーになり、矢野明也が地平線の遥か彼方に行ってから流れた3年の月日は、九里ケ浜の町から矢野明也を消し去っていた。
かつて矢野明也世代と呼ばれていたホワイトボーイズの宝物は、新しい未来の世代「新未来世代」と呼ばれるようになっていた。その新未来世代は、「超」の付く高いフットボールの技術レベルに成長し、Uー13、Uー14と連続で上位リーグに進んでいた。そして今年上がったUー15では、プロリーグの下部組織ばかりが所属するトップリーグに昇格していた。そして、そのトップリーグでは、圧倒的な内容でリーグ史上初めてという全勝優勝という偉業をやってのけた。
矢野明也がロンドンに行ってからの3年という時は、ホワイトボーイズに、そして矢野明也世代と呼ばれた子供達に自覚と自信、成長を齎していた。かつて、矢野明也が望んでいたトップリーグの優勝を全勝という稀にみる快挙で成し遂げ、冬に行われる全国選手権大会との二冠獲得も夢ではなく、目の前にある現実の目標になっていた。
新未来世代、ホワイトボーイズの宝物と呼ばれた中心選手達、根元和、真原仁、天岡良は、少年の面影を残しながらもすっかり大人の風貌になっていた。この年代は、15才になってみるとホワイトボーイズの歴史上稀な大型選手が多く、身長は、1m70㎝を超える選手がほとんどだった。その中でも真原仁は、1m80㎝もあった。天岡良は、1m70㎝と大きい方ではなかった。チーム最小、1m60㎝だった根元和ほどではなかった。
新未来世代の選手達は、ほぼ全員がナショナルトレセンに選ばれており、全国的に名前は知られている。だが、誰も世代のナショナルチームには選ばれていない。クラブ代表の石木がこの年代に対する思い入れが強すぎて、協会の技術委員会と衝突ばかりしていたからだ。一時代を築いた石木は、フットボールに対する考えが、独特であり、子供達の技術とイマジネーションを融合して高めるというものだった。何かにつけてクリエイティブなスタイルを追求することだったので、興行的でスポンサー最優先の協会と考えが合うわけが無かったからだ。
協会の方が、ホワイトボーイズの選手たちを必要とする意識が強く、何とかホワイトボーイズをナショナルチームに取り込もうと試みていた。だから、年代別ナショナルチームの合宿は、九里ケ浜で行われるのが決まり事になっていた。そんな理由で、世代のナショナルチームとホワイトボーイズのトレーニングマッチは、定期的に行われた。特に新未来世代であるホワイトボーイズUー15は、ナショナルチームの九里ケ浜合宿の度にトレーニングマッチをやっていたので、お互いを良く知っていたのだった。
(続く)