ゲームも終盤になり、逃げ切りを考え始めたレイソロスは、矢野に3人のマークをつけていた。根元が居なくなって、危険なプレーヤーは矢野だけと判断したレイソロスは、矢野を潰しに入った。だが、ホワイトボーイズU−11は、才能ある将来楽しみな選手ばかりだった。3人が矢野のマークについたため、ホワイトボーイズはマークの付かないフリー選手ができていた。矢野がピッチ右サイドにマークを連れて動いている。左サイドは薄い。その左サイドをホワイトボーイズディフェンダーがドリブルで上がる。途中ワンツーパスを入れながら、上がって行く。レイソロスの左サイドがバランスを崩している。左サイドからボールを持ち上がった選手。この選手が後にホワイトボーイズのキャプテンとなる真原仁だった。真原がレイソロス陣に入るとレイソロスの選手が一斉に寄せてくる。逆サイドで矢野についたマークも矢野から目を離した。左サイドにレイソロス選手が寄せて右サイドにスペースが出来ると矢野はほぼフリーになっている。左サイドの局地戦は、テクニックに勝るホワイトボーイズがレイソロスを揺さぶり、密集がほぐされて行く。矢野は、右サイド一杯に開いてレイソロスの注意するエリアから消える。矢野明也は、九里ケ浜の風と一体化しているようだった。
レイソロスが力で寄せてボール奪取を仕掛けるが、ホワイトボーイズのキープするボールはよく動いて取られない。真原は、ほぐれた密集でボールを蹴り出す。ホワイトボーイズにはあり得ないロングボールが密集を飛び出して右サイドに飛んで行った。ボールは約束された場所、矢野明也の元に行き着くと、そこからは、矢野の1人舞台だった。スペースの開いた右サイドは、矢野が上げるこの日4点目のゴールへの一本道でしかなかった。
4対5、1点差になった。こうなると、もはや流れは、ホワイトボーイズのものになった。必死に逃げ切ろうとするレイソロスのプレーは、悪循環と言う負のスパイラルに陥り、メンタル的にも立ち直ったホワイトボーイズは、矢野のドリブルショーによって2点が追加され、ゲーム終了間際に矢野がエリア内で倒され、PKを得ると、キッカーの真原がパネンカを決めて、7対5でタイムアップ。結果は、壮絶なシーソーゲームだった。
ホワイトボーイズサポーターに語り継がれるゲームとなったU−11のフレンドリーマッチは、ホワイトボーイズの上の年代に力を与え、U-12以降のゲームは、ホワイトボーイズが圧勝して、シーズンの幕を閉じた。
今年11才になる矢野明也は、この時すでにクラブの伝説となる資格を持ってしまったのかもしれない。
九里ケ浜から吹く風はダービーの日も何食わぬ顔でニューライジングを包んでいた。その風を受けたニューライジングサンの屋根は、いつもより静かに感じた。矢野を見守るニューライジングサンは、笑っているように思えた。
70-71シーズンが終わり、フットボールのシーズンは来る71-72シーズンの準備期間となった。準備期間、それは休みのことだ。
シーズンオフとなった明也のもとに父からの知らせが届いた。
(続き)