「良、今日の練習終わったら、カンプノウに行ってみないか?」仁が良に聞いた。「いいよ、でも中には入れないよね」「イングランドが練習しているはずだからスタンドには入れるよ」「ケヴィン・クランツがいるよね。会ってみたいな。明也のことが聞きたいね」「良は英語が話せるの?ケヴィン・クランツと会えたとしても英語が苦手な良ちゃんには無理じゃない」「会えれば、アキヤ、マイフレンド、コングラッチレーション、トレブル。これ言えば大丈夫だね」「やっぱり良ちゃんは大物だ。会えたらいいね」
「外出届出して行けよ。7時からミーティングあるからな!遅れるな」和が2人に向かって言った。「和ちゃんはうるさいなぁ。カンプノウは近いんだから、帰って来られるだろ」仁が独り言の様に呟いた。
「デカいな。さすが12万人入るスタジアムだ」仁がカンプノウを見上げて言った。カンプノウ西ゲートにイングランド代表が乗ってきたバスが止まっている。まだカンプノウにイングランド代表がいるようだ。
「ケヴィン・クランツに会えるね」良が嬉しそうに声に出した。「報道陣が多い!これじゃあ、とても選手に近づけないぞ」
仁と良は東ゲートでスタンド見学チケットを購入した。30€もした。「高いな」仁が不満げに言ったが、スペイン語が分からなかったのでそのまま中に入って、バックスタンド最前列に向かった。
ピッチの中では、イングランド代表が公開練習をしていた。報道陣はピッチに向けてではなく、メインスタンド中央の最前列を取り囲んでいた。日本の報道陣らしきは見えない。ヨーロッパ、特にイギリスの報道陣が多い。ピッチにいる報道陣もピッチではなく、メインスタンドにカメラを向けていた。
バックスタンド側、反対側から見ていた仁と良は、だれか有名人でも来ていると思った。報道陣が反対側にいたので、ピッチはノーマークだ。「ケヴィン・クランツに声をかけるチャンスだ」良がピッチのケヴィン・クランツに向かって叫んだ。「ケヴィン、ギブミーユアサイン」「良、それはおかしいだろ」仁が呆れて言った。しかも良が叫んだ方向にケヴィン・クランツはいなかった。良の叫んだ方にいたのは、ティエミー・ヘンリだった。ティエミーは変なアジア人がスタンドで騒いでいるから、からかい半分で答えた。「アトデネ」という日本語だった。
良は、ティエミーの日本語を聞いて「サンキュー、ケヴィン」と返していた。仁は、良が話した相手がケヴィン・クランツではないとわかったが、既にどうにもならなかった。
本物のケヴィン・クランツがピッチに出て来た。ケヴィンの傍に私服姿の金髪の少年?青年がいる。報道陣も後からついて来た。その数はピッチサイドを直ぐに一杯にする程だった。イングランド代表コーチ達も驚いていた。
「良、今ピッチに入って来たのがケヴィン・クランツだ。良が声をかけたのは、同じアーセナルのティエミー・ヘンリだぞ」
仁の声に良は答えなかった。
「明也だ。仁、あそこにいるのは明也だよ」良の言葉に、「明也がなぜイングランド代表の中にいるんだ?」そう言った仁がピッチをよく見るとケヴィン・クランツの傍に立っているのは、明也だった。
「アキヤ!良が叫んだ。ピッチサイドの明也は、一瞬声のした方に視線を向けたが、気づいてはいない。報道陣のインタビューに答えているようだ。今度は、仁が自身の最大音量で叫んだ。「矢野、明也ー!」
明也が仁と良のいる方を見た。そして良と目があった。
明也は、戸惑った。何故カンプノウに良と仁がいるのか理解できなかった。幻を見ているのかとも思った。日本代表がスペインに着くのは明日だと聞いていた。1日早い。バックスタンドにいるのは確かに良と仁に見える。良と仁がずっと叫んでいる。ティエミーがやって来て明也に言った。「明也、あの2人は日本人だろ。俺をケヴィンと間違えて、『サインして』と言うから、日本語で、『アトデネ』と言ったよ。そしたら、明也が見えてからはずっと叫んでいるよ」
「ケヴィン、あれが天岡良と真原仁だよ。5年会ってないけど間違いない。僕より小さかった良だ。仁は一段と大きくなっているよ」
再会は突然やって来た。明也は報道陣の囲みから抜け出して、カンプノウの中をバックスタンドに向け走り出した。何故か全力で走っていた。明也にとっても初めてのカンプノウは通路が複雑でバックスタンドに向かうこのルートが正しいのか分からなかった。感覚に任せて進み、南ゲートを通過して東ゲートを目指した。「合ってた」明也がそう呟き、東ゲート中央の案内を左に抜けるとバックスタンドだった。
「明也が消えちゃったよ」良が仁に言ってから間もなくだった。
「良!仁!」2人の後ろから自分たちを呼ぶ声が聞こえた。振り返った2人の前に矢野明也が立っていた。5年ぶりの再会だった。
良が泣いていた。仁が良に「何泣いてるんだ」と言ったその目にも涙が光った。
「ご免ね。黙って九里ケ浜を離れて、説明どころか、言い訳すら言えないままだった。ずっと気になってたんだ。何を言うか考えたけど、わからなかった。それでもでも良と仁が見えたら、からだが勝手に動き出した。昔と同じようにただフットボールがしたいなぁって感じただけだった。この大きなカンプノウの通路は暗かったけど、2人がいる場所に何かが案内してくれたようだ。只々、理屈抜きで早く会いたいという思いだけだった」
明也が2人にそう言った時、報道陣が3人の周りを取り囲み始めた。「涙の再会」そんな映像がメディアを賑わせてしまうだろう。明也は一瞬そんな思いが頭を過ぎったが、構わずに2人から九里ケ浜のことやホワイトボーイズのことを聞いた。報道陣に囲まれていたのに3人の会話は続いた。日本語だったので報道陣には分からなかっただろう。会話内容は、普通の16歳の少年が話す内容だった。日本の話題についていけない明也だったが、ライジングサンに帰ったような感覚になった。
「明也、ホテルに戻るぞ!」ケヴィンの声がした。「オーケイ、ケヴィン」明也が答えた。「戻る時間だ。イングランド代表と同じホテルに泊まっているんだ。日本代表はコルネジャ脇のカタルーニャホテルが宿舎だろ。バルセロナにいるうちに、また会いに行くよ。今度はゆっくりね。和も呼んでね」そう言って明也はカンプノウの観客席からピッチに飛び降りた。
良は、あっという間に行ってしまった明也を見て寂しい気持ちになってしまった。
「明也、九里ケ浜に帰ってくるよね?」良が叫んだ。明也が振り返って、右手を握り、胸を5回叩いた。
「仁、明也はきっと帰って来るよ。明也は九里ケ浜を忘れてなかっただろ」「良の言う通りだよ。でも直ぐじゃないだろう。20年先かな」「20年先なら、僕もそこまで現役でいるよ」「ジジイになってるな」仁がそう言った時にカンプノウに7時を知らせる鐘の音が聴こえて来た。
「良、もう7時だ!ミーティングは!」2人が顔を見合わせた。「和に相当怒られるな。でも事情を説明すれば分かってくれるだろ」2人がミーティング会場に戻った時には、既にミーティングは終わっていた。会場には和1人が残っていた」
仁が明也に会ったことを説明しても和は取り合わなかった。後日談だが、2人には大会終了後にペナルティが課せられたようだ。
U17ワールドカップは、エスタディオ・ワンダ・メトロポリターノで開幕した。地元スペインVSブラジルの好カードは、スペインの若い力(とは言え皆同じ歳)がセレソンを圧倒した。4-1の完勝。若きラ・ロハ、スペイン代表は、地の利も味方に付けて若きセレソンを寄せつけなかった。
そしてカンプノウで行われたイングランドVSアルゼンチンのグループラウンドは、イングランドが先行するがアルゼンチンが追いつく展開で3-3のドロー。組織的且つ局面のインテンシティでアルゼンチンをリードしたが、僅かに生じた隙をアンヘル・ジアブロにこじ開けられた。今大会の最大スター候補アンヘル・ジアブロのハットトリックは、この年代の最高レベルの選手であることを世界に示したものだった。
大会3日目の特筆は、オランダVS韓国の1戦だった。アヤックスの選手を主軸に編成された若きオランイェ、ヤング・クロックワーク・オレンジは、日本とアジア地区の覇権を争い、世界ランクも20位以内に定着し、強豪の仲間入りをした韓国を全く寄せつけず、7-0として別次元の強さを世界に示した。ロリス・フェルカンプが創り出した新時代のトータルフットボールが世界を驚かせた。
そして、グループリーグ開幕4日目。日本代表の登場だ。ナイジェリアを相手にした日本代表は、世界中に衝撃を与えた。この年代では世界トップレベルのナイジェリアに何もさせなかった。超人的な身体能力とスピードを持つナイジェリアの選手が、中盤を制圧されて殆どボールを自由に保持出来ず、一か八かの力任せのカウンターも簡単に読まれてシュートまで行かなかった。ナイジェリアがシュート1本、枠内に飛んだシュートは0だった。日本のゲーム支配以上に世界を驚かせたのは、サムライ・ボーイズの1対1の強さと高い技術力だった。王国ブラジル代表でさえ、苦労して分が悪いナイジェリアが、アジアの国に完敗。5-0だった得点差以上の力の差があった。
このゲームで日本代表の攻撃、そしてゴールを演出した天岡良の名は、世界中に驚きを持って伝えられた。この数日間で天岡良は、世界で最も有名な日本人選手になったかもしれない。レギュラーシーズンにおいて、ヨーロッパを、そして世界を驚かせた矢野明也はいない。矢野明也を忘れさせるほど、天岡良の名はスペインの地で響き渡った。天岡良はロリス・フェルカンプやアンヘル・ジアブロを凌ぐ才能という評価を受け、天岡良の発見は、U17ワールドカップの最大ニュースとなった。
日本代表は、天岡良が躍動し、真原仁、根元和が強豪国を打ち砕いた。予選ラウンドを1位通過した日本代表は、Qファイナルでアンヘル・ジアブロのアルゼンチン代表との打ち合いを制して、セミファイナルに進み、セミファイナルでは、ロリス・フェルカンプ率いるオランダ代表に競り勝った。
サンチャゴ・ベルナベウでのファイナルは、イングランド代表に競り勝った地元スペインと対戦。完全アウェーの中で、天岡良が3得点全てを演出した、日本代表の完勝だった。
天岡良は、移籍市場の目玉となった。マドリー、PSG、チェルシーといったビッグクラブが、獲得に動き始めた。九里ケ浜の街は俄かに騒がしくなっていった。
明也は、大会を通じて輝き続けた良のプレーに驚いていた。
「良はとてもうまくなった。また、良とフットボールがしたくなったな」