ジェフ・ウィッシャーのいないピッチ、アーセナルは創造性を失ったように見えた。だが、創造性は勝利の絶対条件ではない。ウィッシャーのいないピッチは、アーセナルとノッティンガムフォレストの戦いを伝統的なイングランドスタイルに戻して、ボール際の激しさを増していた。明也のとなりに座っていたおじさんは、ゲームに集中していた。「ウィッシャーがいなくてもやるじゃないか」時折そんな言葉が聞こえてくる。確かにアーセナルの圧力は上がったようだった。
「ところで、日本のにいちゃんは、言葉がわかるのか?」となりのおじさんが明也に話しかけて来た。「少しだけは」そう言った明也の発音は日本人観光客のものではなかった。「ロンドンの人間か?言葉がわかるなら、わしの言うこともわかるだろ」「ガナーズは、ファントマがいたから出来たフットボールを未だにやろうとしてる。創造性だ、なんだとカッコつけたフットボールに行き過ぎちまった。ファントマが居なくなって何年も経つのにまだ同じことをしてやがる。今ベンチに座っているヴィオラの時代だけは違ったな。とても強かった。まわりに躍らせれず、創造性がどうだのなんて言い訳をしなかった。汚いプレーで勝てとは言わんが、創造的だとか芸術的だとかいうフットボールをして負けるのはたくさんじゃ。フットボールは採点競技じゃないんだよ。技術点や芸術点なんてのはないんだ。相手よりゴールを決めることだけなんだ。ファントマとプレーしたジルが夢を見過ぎているのかもしれない。何せ今のトップにはがっかりさせられる。わしに言わせりゃガキのフットボールだ。ウィッシャーもデビューしてから4年も経つのにまともにプレー出来てない。また怪我したのは、ファントマになろうとしているからいかんのだよ。ファントマの後継者だとか再来なんてのは、メディアが言った無責任なタイトルだ。矢野明也が隠れちまったは、ファントマの呪いを受けちまったのかもしれんな。にいちゃんはヴィオラを知ってるか?奴は良いぞ。選手時代も自分のスタイルを貫いて、ファントマのなんとかなんてなかった。コーチになってからはもっと良い。甘いトップチームに主力を持っていかれても関係ないね。無名選手ばかりだが、アーセナルBは、とても良いチームに仕上がってる。ヴィオラが育てた選手が、トップでも主力になろうとしてる。ウィッシャーはもっとヴィオラの言うことを聞けば良かったのに、ファントマのなんだと言われて舞い上がったよ。もう手遅れじゃ。選手生命すら危ういだろう。にいちゃんもフットボールが好きならメディアの言葉に騙されずによく見ることじゃ。だけどな、こんなこと言うわしも矢野明也は大好きなんだよな。奴は本物の天才だからだ。去年まで奴が下のカテゴリーでプレーしていた頃は見るたびに驚かされたよ。奴の場合、リオン・ファントマの再来なんて言われるのは、他に上手い表現を見つけられないだけだ。ウィッシャーは、ファントマ以下だけど矢野明也はファントマ以上だよ。ファントマがデビューしたスパーズ戦は語り草だけど、矢野明也は14歳の時既にファントマを超えてたよ。それくらいすごい奴だった。奴はファントマ以上の歴史を創るはずだ。早く奴のトップデビューを見たいもんじゃ。にいちゃんも矢野明也を見たかっただろう。長話をしちまった。聞いてるか?にいちゃん」明也は、照れ臭さと恥ずかしさ、そして嬉しさが入り交じって聞いていた。「聞いてます」明也が答えるとおじさんは周りの人に話し出した。「おい、お前達は矢野明也を知ってるか?矢野明也とファントマはどっちが良い?」
「ファントマのプレーは映像でしか知らないけど明也のプレーはハイベリーでもスクエアでもよく見たね。明也は魔法使いだよ。あんなプレーヤーは見たことないね。トップに上がった筈なのに出てこないから心配だね。ファントマが嫉妬して出さないんじゃないか。明也を早く見たいね」「そうだ。ガナーズには明也がいるじゃないか。明也コールだ」
ヴェンゲルスタジアム最上階から明也コールが始まった。
(続く)