U−17のカテゴリーになるとアーセナルは、全イングランドのトップリーグに所属する。リバプールのアンフィールドにもグディソンパークにも、マンチェスターのシティオブマンチェスターにもオールドトラッドフォードにも行くことになる。トップチームと同じ会場を使うU−17は、明也をハイベリーに登場させることにもなった。
矢野明也が、ロンドンから遥か東の彼方にある九里ケ浜で、フットボールを始めてから10年以上の年月が過ぎていた。憧れであり、家の様でもあったニューライジングサンのピッチに立つという確かな目標は、未だ実現していない。ところが、九里ケ浜では、漠然とした夢だったイングランドでプレーすることが現実になった。そしていつか出来たらと夢見たハイベリーのピッチがもう目の前にある。ハイベリーのピッチに立つ夢が現実になろうとしていた。。
アーセナルU−17のオープニングゲームは、ホームハイベリースタジアムでのマンチェスターユナイテッド戦だった。
リーグ戦前日に両チームの先発メンバーと控えメンバーが発表された。そのメンバー表を目にしたアーセナルのメンバーから驚きの声が上がった。ユナイテッドの控えメンバーに見覚えのある名前があったからだった。
「No.18 アンヘル・ジアブロ」ケヴィンがアンヘルの名前に一番先に気づき、他のメンバーと話している。明也にとって、アンヘル・ジアブロという名は、自分と入れ替わりでアーセナルから出て行った選手がいると聞いていた。入団当初は、チームのメンバーから、本当にアンヘルより優れた選手なのかと比べられた。ケヴィンは、U−14に上がった前に一緒にプレーしていたアンヘルに深い思い入れがあった。自分と身長差は30㎝、同じ年と思えないが、フットボールは、上手すぎるぐらい上手かった。そんなアンヘル・ジアブロがアーセナルのホームにやって来る。ハイベリーのピッチに。
音沙汰無く過ぎた3年間、アンヘルは無為に過ごした訳ではないだろう。ユナイテッドの控えメンバーと言っても、15才のアンヘルが2年飛び級していることは事実だったのだから。アンヘルが明也に対して強い競争意識を持って来るだろうと周りは言っている。でも、明也にとっては、毎年起きている選手の入れ替えが当たり前になっていたので周りが言うほど気にしてなかった。
同じ時代を生きる者達には、必ず付いてまわる宿命とも言える事がある。どっちが上か、誰が1番かという相対優位論議だ。本来、贔屓にする選手を讃えるものである論議が、時に邪な思いの入ったものになる。そんな無責任に繰り広げられる論議が、明也の思いを超えたところで動くことになる。いつの時代も周りは、比べるものを探し続ける。明也とアンヘルの様に比較対象としてこれ程分かりやすいものはない。明也の思いとは別の次元で2人の関係は語られていく。
アンヘル・ジアブロとは、天使と悪魔という名前だ。アンヘルのプレーは、その名の通り、とても可愛い天使の様な姿をして、悪魔を思わせるプレーで恐怖と致命傷を与える。プレースタイルは、アルゼンチン選手独特のドリブルとシュート技術を持ち、フットボール史上最高の選手と言われたメッシを連想させる。アンヘル・ジアブロがハイベリースタジアムでプレーするのか?
矢野明也とアンヘル・ジアブロは、ハイベリースタジアムで運命の出会いをすることになった。
(続く)