グーナーズハウスの朝は早い。アカデミーの少年達は、朝起きると直ぐにトレーニングルームに行き朝食前のストレッチを始める。
「今日もお前が一番乗りか?」トレーナーが6時前にトレーニングルームに入った時、栗毛色の長い髪の少年1人だけがストレッチをしていた。少年は既にかなり汗をかいてストレッチも終盤になっている様だ。身長1m70cm位、大人になりかけた少年は、アーセナルU-17と刺繍されたトレーニングウエアを着ていた。トレーナーの質問に流暢な英語で答えている。新シーズンからアカデミーのトップカテゴリーU−17に上がったことをトレーナーに褒められている。少年は、栗毛色の長い髪を軽くウェーブさせ、どことなく芸術家を思わせる風貌だったが、西洋人の様では無かった。
6時の鐘がなると、各年代の少年達が続々トレーニングルームにやってくる。ストレッチはアカデミーの日課となっていたが、必ずしも強制的に指示されたメニューではない。いつからだろうか、3年ほど前から始まっていた。
「明也、もう上がりかい」「朝食食べたら、数学のノート見せてくれ」「今週末に追試があるんだよ」明也と同じU−17のトレーニングウエアを着た少年が言っている。「ケヴィン、また明也頼みか?」「自分の力で乗り切らないと」ケヴィンと呼ばれた少年はトレーナーから注意されている。「ケヴィン、学校を落第するとどうなるか分かってるよな?」「アカデミーを出て行くことになるのは知ってるさ。そうならない様に、優秀な明也先生にお願いしているんだよ」「ケヴィン、ノートデータをタブレットに送信しておくよ」「やっぱり、明也は、フットボールでも学校でも俺にとっては欠かせない存在だな。ありがとう」ケヴィンは、安心してストレッチを開始した。
栗毛色の長い髪の少年は、矢野明也だった。明也はアカデミーに入団して3年が経過していた。今ではグーナーズハウスの生活にすっかり馴染み、フットボールの成長に加えて、学校の成績も優秀で、2年飛び級をしていた。アーセナルフットボールアカデミーでは、トップカテゴリー、U−17に昇格していた。矢野明也は、アーセナルフットボールアカデミーで過ごした3年間、毎年繰り返されたアカデミーの競争を期待に違わぬスピードで勝ち上がった。
明也が、グーナーズハウスに来た頃は、リオン・ファントマの影が見え隠れして、羨望と反感から反目というアカデミーの洗礼を受けた。だが、毎年繰り返される競争は、常に新規参入者と落後者を生み出した。U−13のメンバーは、毎年半数が入れ替わる。だから、入団当初は、反目していたメンバーも自然に特定の個人を気にすることがなくなっていく。ここでは、激しく強いプレーは讃えられるが、醜く汚いプレーは否定され、排除される。フットボーラー=ジェントルマンの行動を徹底的に叩き込まれる。
ロンドンをホームタウンとするクラブは、アーセナルを始めとして、有力なクラブだけでも、チェルシー、クリスタルパレス、ウエストハム、フラム、QPR、そしてスパーズ(トッテナムホットスパー)という複数がひしめきあっている。其々が、育成と言う名の下にアカデミーを持ち、イングランド中から選手集めをしている。
ほとんどのクラブは、子供達のためなんて事は二の次とされる。ビジネス優先のだし抜き、引き抜きが日常茶飯事に行われる世界だ。しかし、アーセナルとスパーズだけは、育成に定評があり、プロになる可能性が高い。両クラブ共、純粋に競争を繰り返すやり方で、引き抜きは必要が無くなる。毎年行われるセレクションは、圧倒的な応募者数があり、そこでは常に新しい才能が発掘され、発掘された才能が既存の才能を弾き出して、アカデミーに新陳代謝を齎している。
(続く)