矢野明也は、この町で生まれ、この町の子供たちと同じように、もの心ついた頃には、ボールを蹴っていた。
矢野の家は、ACレイソロスのホームスタジアム「ドリームフィールド」のすぐそばにあった。ドリームフィールドの近くに住む人々はほとんどがACレイソロスの応援団であり、親はレイソロスの関係会社であるTV工場と関係する仕事をしていた。矢野の仲間達は、皆生まれながらのレイソロスのサポーターであり、小学校入学前からレイソロスのフットボールスクールに行っている。
矢野も小学校に上がる前は、レイソロスのスクールに入ったが、矢野は体が小さく、同年代の子と比べても3歳位下に見えた。小学校に上がる時に、身長は1mに届かず、同年代の子供たちとの体力差は歴然としていた。
矢野の転機は6歳の春にあった。近所の仲間がACレイソロスのジュニアチームU-7に進んだ時、矢野は町のもう1つの有力チームに入団届を出していた。
この時から矢野は「裏切者」と言う肩書を背負うようになった。矢野は、自分にあったスタイルのチームを選んだだけだった。レイソロスはフィジカルを優先したスピードとパワーが信条のチームスタイルだった。もう1つのチーム、ホワイトボーイズは、ブラジルのプロ選手が始めたチームだったので、パワーよりもテクニックや意外性、そして楽しいプレーを優先するチームだった。レイソロスのスタイルはとても猛々しく諦めない。闘う姿勢を貫く。昔よく言われた「イングランドスタイル」がぴったりくる。ホワイトボーイズはフットボール好きにはウケがいい。皆とても上手い。テクニカルなスタイルは見る者を楽しませ、意外性あるプレーは驚きの連続となる。
矢野はこんなチームスタイルの違いを感じていた。レイソロスだと自分はフットボールがさせてもらえない、だから、近所の仲間達とは違うチームに進んでいた。だが、矢野がホワイトボーイズを選んだのは、別の理由があった。矢野の家は、かつて海のそばにあった。矢野のおじいさんは、ホワイトボーイズ伝説のフットボーラーと言われた選手。だが、それを覚えている人はもういない。明也の体に流れるおじいさんの血は明也をホワイトボーイズに導いた。80年以上前に実在した伝説のフットボーラーの再来、矢野明也は、ホワイトボーイズの伝説となる運命だったのかもしれない。
ホワイトボーイズのホームスタジアム「ニューライジングサン」は海の近くにあって、矢野の家からは10キロ以上離れている。矢野は練習日、ニューライジングサン脇の練習場まで自転車で通っていた。東から吹く海風を全身に受けながら。
自転車で家の近くを通る時、レイソロスの青いジャージではなく、ホワイトボーイズの白いジャージを着ていたのでとても目立ってしまう。レイソロスタウンをアウェーチームのジャージを着て無事に通過する方が珍しい、必ず野次られ、イジられた。レイソロス親会社の企業城下町であるこの町では、レイソロスは絶対だった。6歳の子供であっても、容赦なかった。それは「よそ者」であり、もっと悪い表現をすれば、「敵」だったから。レイソロスの闘うスタイルは、その昔漁師だった祖先の血が戦いのDNAを蘇らせているのかもしれない。「ゆりかごから〇〇まで」全てがレイソロスの親会社に依存して、仕事から家庭、趣味に至るまで丸ごとサポートされている。この町の人々は、それが当たり前でずっとそうやって生きてきた。この町だからこのレイソロスというチームが続いている。
(続く)