ラウンド16は次の土曜日に予定されている。ラウンド16からは、国のトップリーグへの出場権をかけて各チームの激しい戦いが繰り広げられる。準備期間となるこの1週間に未来の子供達をピンチにさせる事件が起きてしまう。
九里が浜FCセカンドチームは、殆どがボールを使った練習をする。アップもフィジカルトレーニングも必ずボールを使う。但し、大半がミニゲームだ。陸上競技のハードルほどの大きさのゴールを使ったミニゲームを何本も繰り返す。ミニゲームはスペースが無く、潰しが早いので隙を見せたら簡単にボールロストしてしまう。ボールの奪い合いは真剣勝負そのもので獲られたら取り返すことをチームとして徹底していた。
このミニゲームでも東城の力は飛び抜けていた。ボールを奪われない。やろうと思えば簡単に3、4人抜き去ることが出来る。ただこのゲームで東城はドリブルをめったにしない。殆どがワンタッチのシンプルなプレーだ。左利きだが右も左足と遜色ないほど上手い。練習で左右両足を使うが、通常のゲームは左足しか使わない。フルピッチのゲームはスペースがあって、時間もあるから左足にボールを置ける。だから右足を使う必要が無いようだ。
東城にとって、十分なスペースとは1メートル四方のこと。1メートル開けば東城は必ず自由になる。だから相手ディフェンスはそれ以上離れたら殆ど止めることが不可能。この時代のフットボールはマンツーマンディフェンスが基本だったので常に1人のマーカーが傍にいたが、東城を止めるには1m以上はなれたら意味がなかった。東城を知り尽くした未来の子供達でさえ東城を止めるには2人のディフェンスが密着マークして東城を道づれにしてゲームから消えることしかないと思っていた。だから東城が入ったチームは常に数的優位になる。40年先の未来からやってきた子供達の中でもズバ抜けていた東城を止めることが出来ないのは当然のこと。11人抜きがあっても不思議ではない。
毎週水曜日は練習ゲームの日と決まっている。トップチームとセカンドチームが、ガチの勝負をする。トップチームはプライドをかけて凄まじい闘志でゲームに臨んでくる。トップチームは、リアクション型のカウンターを主体としたチームだった。しかし、スリートップ左サイドには天才ドリブラーがいた。矢野亜希也だ。ゲームを支配するのはセカンドチームだったが、この天才ドリブラーにボールが渡るとセカンドチームも失点してしまうことがある。矢野が見せる左利きの切り返しやターンは、セカンドチーム、未来の子供達も苦労していた。とりわけ、ゲームでマッチアップする宇能は矢野が苦手だった。どんな相手でも冷静なプレーの海東も矢野のドリブルにはお手上げだった。
この天才ドリブラーは、ドリブルが好きだった。フットボール=ドリブル。3人抜いてキーパーと1対1になってもシュートを打たない。キーパーを抜こうとする。でも時間がかかり過ぎているので相手に囲まれてしまう。ここで万事休す。相手ボールとなる。しかもセカンドチームキーパーの一清は矢野のドリブルをよくわかっている。だからさすがの矢野も1対1のパターンでは抜けない。ただし、矢野が抜いたら直ぐにシュートすることがある。このシュートは決まる。ニアでもファーでもキーパーにはノーチャンスのコースにボールが飛んでいく。でも矢野はこのプレーが好きではない。目の前の相手を全員抜きたいと思っているからだ。ドリブル好きでフットボール=ドリブル、これが、矢野亜希也だ。未来の子供達はトップチームの選手を認めてなかったが、矢野のドリブルは憧れていた。東城でさえ矢野のドリブルを真似することがあった。
トップチームは矢野のシュートがゴールへの生命線だった。だからどんなことをしてでも矢野にボールを繋ごうと激しいプレーをした。ファールは当たり前のように。
この日のゲームもトップチームの激しいプレーが繰り返されていた。3日後にラウンド16を控えたセカンドチームメンバーは普段より軽くゲームに入っていた。珍しく逃げるプレーが多く、ボールが縦に進まず、横に動くばかりでゴールに向かわない。前半も残り5分となったところでついにセカンドチームは失点してしまう。諸宮から阿部に出した横パスが狙われた。
いつもよりスピードのない横パスをカットしたのは、枝本比呂知だ。トップチーム、もう一人の天才枝本は、身長1m45㎝ながら、抜群の運動神経と絶妙なボールタッチでロングボール中心のトップチームにあって中盤にアクセントをつけていた。ただ矢野と同じくらいドリブルが好きだった。いや矢野以上にドリブルが好きでキーパーを抜いたらプレー終了、そこでパスするような選手だった。時に見せる枝本と矢野のコンビネーションプレーは絶品で、未来の子供達でさえ驚かされるプレーだった。ところが、残念なことに、枝本は、1ゲーム70分持たない。後半20分過ぎにゲームから消えてしまう選手だった。惜しいかなスタミナに難があった。
枝本は、奪ったボールでショートカウンターを仕掛けた。ボールを矢野に送リ、矢野は得意の左サイドからドリブルが始める。一瞬で宇能を振り切り、カバーに来た海東を左右の切り返しで簡単に抜いてしまった。ここでシュートを予測した唐草がブロックに入る。キーパーの一清はシュートコースを消すアングルでニアポストをケアしながらも矢野がそのままドリブルで抜きに来ることに備えた。この日の矢野は、シュートするほうの矢野だった。唐草と一清の動きを確認すると左足を振り抜いた。矢野が相手を抜いたら、直ぐ打つシュートは決まると言われるタイミングだ。一清は瞬間ファーポストを予感し重心が動いた。矢野は、しまったと感じたが構わず左足を振り抜く。しかし、その瞬間、戻った諸宮が矢野の背後からボールを突いたため、矢野のシュートは、ボールをかすったようなミスキックとなってしまった。
一連の流れにエリア内の選手が皆ボールウォッチャーになってしまった時、ボールだけは自らの意思で動くようにニアポスト方向に進み、一清の右足の横をゆっくりと転がってゴールラインを通過したところで止まった。ラッキーな、変なシュートだったが、トップチームの先制ゴールとなった。
セカンドチームFW市井とMF西塚はこのミスからの失点に怒りをあらわにしたため、セカンドチームの雰囲気が悪くなりかけたが、東城がニコニコと現れ割って入り、「返そうよ」の一言で場は収まる。未来の子供達は技術を競い合っているが、勝ちにもこだわっている。負けず嫌いの集まりだったから。この失点は未来の子供達を起こす事になった。
中林と東城から始まったキックオフから、つむじ風が吹き上がるようにパスが回り始め、ピンボールのようなパス交換が始まり、何本のパスがつながっただろう。ほとんどのパス交換はトップチーム陣内で繰り返され、ペナルティエリア内だけでも10本以上のパスがつながった。最後は唯々ボールウォッチャーになったトップチームは、練習用のコーンのようだった。トップチームを徹底的に振り回した仕上げは、フリーになった中林がサイドキックでボールを流し込む。トップチームはボールに触るどころか未来の子供達に触ることすらできなかった。完全に意気消沈したトップチームのキックオフでゲーム再開したが間もなく前半終了のホイッスル。
トップチームのショックは大きく、まだ同点ながら大量失点で負けているようだった。こんな状態の時、トップチームは必ず悪い癖が出る。いつも仲間割れが始まってしまうのだ。トップチームは決して技術で劣っているわけではなかった。矢野や枝本のプレーは40年後の世界でも十分通用しただろう。だがチームとしてのまとまりは全くなかった。選手個々が力を持ち、素晴らしい技を持つソリストがいる。しかし、チームをまとめる指揮者がいなかった。一度歯車が狂ったトップチームは、ばらばらのプレーを繰り返し、お互いを罵り合う。
Uー15の2回戦で当たった源FCとのゲームも大量失点する内容ではなかった。当初拮抗していたところでミスから先制点を奪われ、直後の決定的なチャンスをミスしたところでチームは壊れてしまい、自分達でゲームを壊してしまった。仲間割れが始まってしまったからだ。源FCは次々とゴール決めていた。チームの体をなさないチームは、どんなチームでも勝利は掴めない。フットボールは個人競技ではない。飛び抜けた個がいても1対11では戦えない。フットボールに個人の勝利はない。チームの勝利があるだけだ。源FCとのゲームで東城がやった11人抜きゴール後に東城は交代した。チームプレーをできない、しない選手はフットボールをやる資格がない。それが未来の子供達の決まりごとだったから。未来の子供達はトップチームを認めていなかった。矢野や枝本の技術を称えても決してチームを称えることはなかった。
後半のキックオフが始まっても、トップチームの仲間割れは続いていた。こうなるとゲームにならない。未来の子供達は自陣でパス回しを始める。キーパーの一清も入ったロンドが始まる。鬼役は、東城と中林と諸宮の3人だ。8対3のロンドにトップチームの矢野と枝本がボールとりに加わり8対5のように見える。妙な光景だ。ボールが止まらない、タッチを割らない。鬼役の3人と矢野と枝本がボールを追い続ける。トップチームの他の9人は完全傍観者になっている。後半キックオフから20分以上が過ぎていた。動き続けるボールが自分の意思で動いているように見えた。
矢野と枝本は相変わらず真剣にボールを追い回す。枝本のスピードが落ちてきた。ボールを追い回し続けた枝本はガス欠寸前だった。未来の子供達は枝本の状態を見て、おかしくなり、緊張感がなくなってしまった。その時、トップチームの最後尾から大股で走り込む姿があった。ボールが諸宮の傍を通過した時、諸宮が背後に眼をやると、ボールが走り込む選手に向かっていた。走り込んだ選手は、そのままダイレクトシュート。一清はペナルティエリアの外にいたため全くシュートに対応出来なかった。ボールは緩やかな弧を描いてゴールに向かいそのままネットに収まる。トップチームの2点目が決まった。
ゴールを決めたのは、トップチームのキャプテン鶴亀益十だった。鶴亀は、典型的なセンターバックだ。フィジカルの強さと遠くに蹴り出すキック力が信条の選手だった。鶴亀のフィジカルとキック力はトップチームの重要な戦力だった。棚ぼたゴールではあったが、ゴールはゴール。トップチームは1点リードでゲーム終盤になる。またも自分が絡んだ失点に諸宮はショックを受けたが、直ぐに未来の子供達のキックオフでゲームが再開した。残り時間は10分程だった。トップチームは1点リードしたことでまとまりをみせ、別のチームになっていた。中林と東城のパス交換には無理にプレスに行かずにディフェンスブロックを作っていた。
引いて守るディフェンス。現代フットボールでは当たり前になったリアクションフットボールのスタイルだ。トップチームは未来の子供達とゲームをするようになって半年が経っていた。ボールを持ち攻撃を仕掛け、攻撃は最大の防御だというスタイルにトップチームは、いつの間にか対応する術を身に付けていた。残り時間は10分、無理に行かずに時間を使う。自陣に閉じこもったディフェンスを崩すのは難しい。時計は進む。
トップチームの勝利が見えかけた時、右サイドの東城にボールが渡る。東城のドリブルでも引いたディフェンスを破るのは難しく思えたが、東城はピッチを横切るようなドリブルでトップチームの中盤の選手を1人、2人、3人とかわし、中央の諸宮にバックパス。諸宮はペナルティアーク付近にいた中林に早いグラウンダーの縦パス。トップチームディフェンスは中央に絞り込んでスペースを消しにかかる。しかし中林は早いバックパスを西塚に帰すと西塚はスペースのできた左サイドの市井に繋ぐ。市井はいつもの様なドリブルをせずに中央の諸宮にパス。諸宮は右サイドの細野にアウトをかけたチップキックパス。細野はダイレクトボレーでキーパーとディフェンスラインの間にシュートのようなクロスを入れる。東城と中林が並んでほぼ同時に足を投げ出すようにスライディング。ボールは東城のつま先のわずか先を通過し、同じく中林のつま先をかすめてゴール前を通過。その先に走りこんでいた市井がフリーで左足を合わせる。無人のゴールに流し込むだけのシュートに見えたが、ボールはファーポストを直撃、ゴール正面に跳ね返った。
同点ゴールのチャンスを逃した市井は天を仰ぐ。だが、ペナルティアーク付近までリフレクトしたボールは生きていた。諸宮とトップチームディフェンス宍塚武佐夫(ししづか むさお)がボールに寄せる。諸宮が先にボールを押さえ、ターン。諸宮はターン直後にサイドキックで横パス。その瞬間、「バキッ」と鈍い音が響く。走り込んでいた宇能は音が気になったが、かまわず右足を振り抜く。アウトのかかったボールはゴール左隅に突き刺さる。セカンドチームの同点ゴールが生まれた。普通なら、ゴールしたセカンドチームがボールをセンターサークルに戻すはずだった。だが、そうならなかった。鈍い音が出た場所に両チームの選手が集まっていた。
ピッチに横たわり苦痛の表情を見せていたのは、諸宮だった。アフタータックル。宍塚は諸宮が出したパス後に背後からのスライディングをしていた。自力で起き上がれない諸宮を宇能と東城が抱えてピッチ外に連れて行く。ピッチは重い雰囲気に包まれていた。市井と西塚が宍塚を罵倒し、トップチームも2人の言葉に激怒してもみ合いになる。海東と鶴亀が収めようとしていたが、収まらない。普段からラフプレーをする宍塚に未来の子供達は我慢ならなかった。トップチームもそれはわかっていたが、市井の汚い言葉を許せなかった。もみ合いが続いているところに東城が戻る。「ゲーム続けるよ」そんな東城の言葉にもみ合いは収まった。東城の不思議な力だ。
ゲーム再開。トップチームはこのままゲームを終わらせようと時間稼ぎに入った。1人少ないセカンドチームだったが、激しくボールを追い詰め、右サイドで細野がボール奪取。細野は東城を探したが、東城は3人のマークで動けなくなっている。中央の本来諸宮がいるところに海東がいた。細野は海東にボールを送ると、海東は中林に縦のパス。中林は抜け出すフェイクを入れたが、直ぐに海東にリターン。海東は左サイドの裏スペースにボールを送ると市井が受けてカットイン、宍塚をかわしてペナルティエリアに進入。シュートブロックに来た鶴亀の股を抜くクロスを入れる。そこに3人のマークを引き連れ東城が走り込み、スルー。ボールはペナエリア右サイドまですすむと、そこには同点ゴールと同じように宇能がいた。さっきよりも短いペナルティエリア内のシュート。今度の宇能は、わずかにミスキック。ポストを叩いたボールはピッチ外に飛んで行った。
ここでタイムアップのホイッスル。2-2のドロー。セカンドチームは、トップチームが仲間割れした時間帯に攻撃しなかったツケを払うことになったが、ゲームの勝ち負けよりも諸宮のケガが気がかりだった。諸宮は、タイムアップのホイッスルを聞くと直ぐに病院に向かっていた。未来の子供達はラウンド16を諸宮不在で戦うことになりそうだと覚悟した。いつまで不在になるか気になった。未来の子供達は、ダウンも簡単に済ませ、全員が病院に向かった。
未来の子供達が病院に着いた時、諸宮は診察室から出て来るところだった。診断結果は、右足首の捻挫で靱帯損傷だった。全治3週間。諸宮は決勝戦まで帰ってこられなくなった。重いとは言えないが、決して軽くもなかった。
テクニックを駆使するセカンドチームの中で諸宮は特殊な存在だった。中心選手の東城や西塚の技術も市井や阿部のアイデアも中林や細野のスピードも宇能や唐草のパワーもなかった。海東の持つキャプテンシーがあるわけでもなかった。チームの中心選手ではなく、いつも中央にいる選手だった。視野の広さと何処にでも顔を出すポジショニングだけが特異だった。そしてケガをしたことがなかった。皆ファンタジスタの素養を持った選手の中でただ1人の汗かきだった。パス交換の中心にはいつも諸宮がいた。どんなプレスも自然な動きでかわしていた。だからボールロストがなかった。3-1-3-3の1をやるにはうってつけのタイプ、一清、海東、諸宮、東城、中林と並ぶ縦の線。チームの背骨の真ん中にいるのが諸宮だった。チーム別格のエース東城も諸宮とのプレーを楽しんでいた。そんな初めての諸宮不在がゲームにどう影響するかわからなかった。しかもこれからのトーナメントを控え選手がいない11人だけで戦うことになった。
(交替選手のいないラウンド16の戦いは第4話に続く)