次の土曜日準決勝は、2時キックオフだった。対戦相手は伯東FCに決まった。ラウンド16以降毎回組合せ抽選が行われるため組合せの運不運が起きる。伯東FCは、秋のブロック大会で対戦したチームだった。その時のスコアは14-0。ゲームにならなかった相手だった。やってはいけないゲームだったかもしれない。その代償を九里が浜FCは払うことになる。フットボールの勝敗は、最後は自分との戦いに勝ったか負けたかで決まる。
相手が伯東FCに決まり、九里が浜FCはどことなく気の緩みが見え始めていた。既に頭の中は、準決勝を通り過ぎ、決勝の相手に移ってしまった。3カ月前に14-0で勝ったチームを警戒するのは無理かもしれない。だが、相手を甘く見ることはフットボールの結果に大いに影響する。相手を甘く見たチームが、ゲーム後に後悔と無念の涙を流したのを何度も見てきた。九里が浜FCの快進撃も相手が九里が浜を甘く見たものであったことは否定出来ない。対戦相手は九里が浜FCを弱小チームという認識でゲームに入った。想定と現実のギャップを強豪チームは味わった。今度は、九里が浜FCがそれを思い知らされる立場になった。どんな理由でも14-0という事実は消せない。だが、伯東FCとのゲームに集中しないで伯東FCとのゲームに入ることは危険だった。
未来の子供達は、ウィークデイのトレーニング中も決勝の相手がどうなるかに話題が集中していた。トレーニングに集中していなかった。水曜日のトレーニングマッチはセカンドチームが11人しかいないので中止になった。
準々決勝明けにトレーニングOKとなり、別メニューでトレーニングを開始した諸宮は不安になった。東城までもが緩んでいるように見えたからだ。「お前は、心配し過ぎ、サードチームでも勝てる相手だよ」そんな言葉ばかり聞こえてきた。準々決勝までは強いチームとばかり戦ってきた。この時代の強いチームにフットボールの楽しさを伝えるんだというモチベーションと謙虚な姿勢があった。こんどは違う。まだ、この国のトップレベルと戦ったわけではない。九里が浜FCの選手達は、慢心という落とし穴に入ったことに気付かないでいた。
11人しかいない。何かあったら諸宮はゲームに出ようという思いだった。ゲームに出られないことが諸宮の不安を増幅していた。そして、九里が浜FCを更にピンチに追い込む事故が起きてしまう。金曜の練習、ミニゲームの中で細野が堀内と交錯、額を10針縫う怪我をしてしまった。細野は、セミファイナル出場にストップがかかった。未来の子供達は、10人になってしまった。
10人になった九里が浜FCは、急遽、追加選手登録を行う。サードチームから中盤選手、神宮寺光明(じんぐうじ みつあき)とゴールキーパーの菱井威呂士(ひしい いろし)が追加された。ともにU−14の選手で、未来から来た子供ではなかった。
全治3週間だった諸宮は、ドクターのOK待ちだが、フルタイムでなければ出場出来そうになった。対戦相手が伯東FCに決まり、気の緩みが出ていた九里が浜FCは、細野の怪我で気が引き締まりかけたが、諸宮の復帰が見えて来たので、心の様相は「行って来い」に近かった。
ゲームは菱井を先発させ、一清をフィールドで使うというプランが浮上していた。一清をセンターバックに置いて海東を中盤アンカーに上げる配置だ。中盤の守備力を維持することを念頭にしながらも攻撃力も落とさない配置。理にかなったようなプランに見えたが、落とし穴もあった。阿部にはフルタイム動くスタミナと真面目さがあるが、海東は、この点が未知数だった。一清もスタミナの点で不安が残った。
3カ月前の伯東FCだったらきっと問題なかった。だが、伯東FCは既に九里が浜FCを知っている。東城も西塚も海東も市井も阿部もそしてチームの戦い方も知っている。伯東FCは九里が浜FCに14−0で負けた時からフットボールの取組み方が変わった。技術的には、まだまだながら、全員がよく動き走り負けることがなくなっていた。だからセミファイナルまで上がって来た。決して抽選の妙だけではなかった。この時代のフットボールは走り負けないことが最も重要だったから。
準決勝の朝、諸宮はピッチに立つつもりで家を出た。フルタイムでなければ、前後半どちらかならば、大丈夫だろうとドクターのOKは出た。ゲーム展開にもよるが、後半からの出場が濃厚になった。
先発は、キーパー菱井。一清はフィールドになった。一清のフィールドプレーは、トレーニングマッチで試したことがあったが、いつ以来だったか覚えてない。この時代では初めてだ。だが、どこか緩んだ九里が浜FCには、宇能と唐草が脇を固めれば問題ないだろうとの意見が大半だった。
(第9話に続く)