正義のレオが帰って来た。この2年間息を潜めるように周りのレベルに合わせていたメッシが、 ヤル気を取り戻した。現役選手でありながら既に伝説となったメッシは、ペレやマラドーナとは違う形で時代最高のフットボーラーとして光り輝いている。
ワールドカップが最高の大会だった時代はとうに終わり、ワールドカップを獲ったかどうかで選手の価値を決める時代ではなくなった。サッカーが別次元の進化を遂げた時代に異次元のレベルにあるメッシは、既にマラドーナを超え、ブラジルだけが抜きん出ていた時代のペレよりも上のレベルに到達している。ワールドカップが最高の大会だった頃、世界トップの代表チームは、世界最先端の技術と戦術で世界のサッカーをリードしていた。しかし、80年代後半から、代表チームはクラブの二番煎じになった。代表で良いプレーをする選手であってもトップリーグのクラブで最高のパフォーマンスが出るわけではない。ワールドカップチャンピオンのドイツ代表が、レアル・マドリやバルサに勝てるとは思えない。アトレティコ・マドリやチェルシーと戦っても勝てるか疑わしい。それ程今のトップクラブは強力だ。
確かにワールドカップは、国の威信と誇りをかけて戦うものだ。メッシに足りないのはワールドカップのタイトルだけと言われるのも分かる気がする。ワールドカップのタイトルがないからマラドーナを超えられないと言われることも分からないではない。4年に一度の大会で輝くことは、カリスマ性という裏づけを持ったかどうかの差、生まれ持った運の質の差の様な気がする。タイトルだけならメッシにあってマラドーナにないものの方が多い。ペレはワールドカップを3回獲っているから最高の選手である根拠にされる。しかし、ペレの時代は半世紀も前だ。サッカーの質は別次元のものになっている。そもそもペレやマラドーナとメッシを比べることが意味の無いことかもしれない。50年前、ペレは世界最高の選手だった。25年前、マラドーナは世界最高の選手だった。今はメッシが最高の選手になった。それだけのことかもしれない。但し、メッシに比較できるとすれば、歴史上ペレとマラドーナしかいないのも事実だろう。
メディアは、メッシとロナウドを比較する。バロンドールやゴール数などを引き合いに出し、二人を競い合わせている。どちらかと言うとレアルを中心としたロナウド陣営からロナウドが最高だと言うケースが多い。ロナウドにとって超えたい存在がメッシであって、ロナウドにとってメッシは常に目標とする存在になっているように見える。メッシは、ロナウドとの比較にウンザリしているように見える。比較されたくないようにも見える。メッシにやる気が見えなかった2年間は、結果だけ見れば、ロナウドがメッシを追い越したように見える。但し、やる気の無いメッシ60%の状態がロナウドのキャリア最高点とイコールくらいだったということ。そのくらいの違いがあるのがこの2人。ロナウドは、ブラジルのロナウドと比べてどうだろう。ファン・バステンと比べてどうだろう。ポルトガルの英雄エウゼビオを超えているだろうか?ストライカーとしての能力だけで世界最高が決まるわけではない。オープンスペースを走る速度やキック力、筋肉の美しさで世界最高のサッカー選手となれるわけではない。アスリート・フットボーラーとしてならロナウドはサッカー史上に残る選手であるが、陸上競技の選手がサッカーをやっているようなもの。速いが硬い。強いが荒い。ボールコントロールの美しさや繊細なタッチは見たことが無い。ロナウドがサッカー選手としてメッシの次元に到達するとは思えない。ペレやマラドーナのレベルにすら到底到達できないだろう。メッシとロナウドは比較する対象ではない。現代の選手でメッシと比較できる選手は見当たらない。それ程メッシは特別な次元にいる選手だ。
世界最高の選手を決めるのは、FIFAやフランスフットボール誌ではない。それは、見る人それぞれの好きか嫌いかということかもしれない。メッシを好きでない人は、メッシを世界最高とは言わないだろう。レアル・マドリの関係者はメッシが最高とは言わないだろう。ディ・ステファノやジダンと言うかもしれないし、ジダンのようにロナウドと言うかもしれない。これは、マドリのプライドによるものだろう。いずれにせよ、世界最高の選手と世界で一番好きな選手は、人それぞれのもの。同じもあれば違うもある。最高の選手は、見る人が決めるのが一番いい。
メッシが2年前に到達したレベルは、過去も現在の選手も誰も到達していないものだ。現代のトッププレーヤーたちがメッシの前では並み以下に見える。それは、シャビ、イニエスタ、ネイマール、スアレス、セスクといったトッププレーヤーたちが、ゲーム中必ずといっていいくらいメッシを探す、メッシに預ける、メッシに全てを託そうとする。そんな存在がメッシであり、正義のレオだ。
ところで、そんなメッシにも弱点があった。昼間のゲームに弱いことだ。12時や16時キックオフのゲームは、並み以下のメッシしか見ることができない。ワールドカップも昼間のゲームが多い。太陽が出ているときのゲームは正義のレオが登場しないことが分かった。太陽が苦手、星の輝く時間がメッシの時間。兎年生まれのメッシは、月が会うのかもしれない。
メッシは、よく寝るそうだ。12時間以上寝ることもある。昼寝は必ずするそうだ。昼寝も3時間くらいはするらしい。昼間キックオフのゲームは、メッシが眠い時間、正義のレオが出ないはずだ。また、長男チアゴ君が生まれてから、正義のレオの登場回数が減ったのは、チアゴ君の睡眠サイクルや夜泣きによってメッシの睡眠サイクルが狂ったことが原因かもしれない。チアゴ君が悪いわけではない。メッシは未だに子供のような生活サイクルだからだろう。メッシのこんなところも常人には理解できないところだ。
時代最高、そして史上最高の領域に踏み込んだメッシは、どこに向かうのか?天才の中でも突出した天才メッシは、在り来りの言葉では表現できない。過去の天才たちを表現する言葉は、「キングペレ」「カイザー・ベッケンバウアー」「神様ジーコ」「将軍プラティニ」「神の子マラドーナ」。メッシは、こんな使い古された言葉でも表現できない。メッシを表現する言葉は見つからない。唯一無二、メッシの前にメッシ無し、メッシの後にメッシ無し。そんなメッシをリアルタイムで見られる幸運をサッカーの神様に感謝しなければならない。