ファンタジスタとは、驚きと創造性あるプレーをする背番号10番をつけた攻撃的MFのこと。真先に思い浮かぶのはロベルト・バッジョだろう。バッジョのプレーは、華やかさのなかにどこか儚い影を持っていた。ジーコやプラティニそしてマラドーナの時代はファンタジスタにスペースがあった。90年代になるとプレッシングとコンパクトゾーンが定着し、ファンタジスタの生息地、トップ下にはスペースがなくなった。そんな時代に輝いたバッジョは、最後のファンタジスタと言われるようになった。消え行くトップ下で最後の光を放つバッジョのプレーには儚さが同居しているように見えた。だからファンタジスタという言葉にはどこか悲劇的を響きを感じてしまう。バッジョの後にもジダンやリケルメ、トッティといったトップ下の背番号10番は登場するが、ファンタジスタとは呼ばれなくなった。華やかさや創造性はバッジョを超える選手たちだが、強さがあっても儚さがないからかもしれない。戦術が進化?し、オートマティックなスタイルになったからかもしれない。ファンタジスタは戦術を超えた存在で戦術に組み込まれない。ジダン以降になると戦術や戦形が優先する。華やかなファンタジスタが一人でゴールを演出し、ゲームを決める時代ではなくなった。戦術は進化した?が、美しい技術は進化したのか分からない。戦術優先の時代を打ち破るファンタジスタ、記憶の中で生き続けるファンタジスタの登場を待っている。バッジョが最後のファンタジスタと言われなくなるように。
長い蛇足:バッジョに行き着くファンタジスタというクラシカルな10番の選手たちをあげてみよう。最初は、ペレ、50年代後半から60年代ブラジルがもっとも輝いた時代だ。次はジャンニ・リベラ。アズーリとACミランの10番だ。そしてジーコとプラティニ、80年代前半を代表する10番で現代でも理想とされる美しいサッカーを演出したファンタジスタだ。そしてファンタジスタの最高峰は、マラドーナだろう。戦術はマラドーナ!これ以上の説明はいらない。マラドーナ以後は少し小粒になるが、ジダンが憧れたエンツォ・フランチェスコリ。ライオン丸バルデラマ、サイドキックだけでDFを切り裂くスルーパスは無二の存在だ。そしてバッジョ登場直前は、フリットとシーフォになるが、記憶に残るレベルが低いので名前だけ出すことに留める。