記憶の中に生き続けるチームがある。美しいサッカーによって時代を駆け抜けた伝説のチームという忘れられないチームのことだ。伝説のチームがタイムスリップして現代のバルサやマドリ、バイエルンと戦ったらどうなるかと想像してみるのも楽しいものだ。また伝説のチーム同士が戦ったら、どのチームが1番強く1番美しいサッカーをするか空想するのも楽しい。但し空想の話であって時代の違うチームを比べても意味はない。時代は進み、変わっていく。サッカーもペレの時代とマラドーナの時代は違う。メッシの時代である現代はまた違う。現代サッカーは、情報がリアルタイムとなり、戦術や技術がシステマチックに整備されてきた。ただ何かが進化して何かが退化したように見える。得たことと同じだけ失ったものもあるかもしれない。現代において過去のチームが勝ち残れるとは思えない。それでも伝説のチームはその時代を駆け抜けた時代を超えた存在だったことは事実である。記録にはチャンピオンになれなかったチームとして残ったが、時代を超えた美しさは今でも輝いている。そんな伝説のチームは次のとおりだ。
1950年代のマジックマジャール
1974年のクロックワークオレンジ
1979年のCFC
1982年のセレソンとレ・ブルー
2003年のガナーズ
(ガナーズはプレミアのタイトルを獲ったが・・・)
おまけの話
AKH10とHJM7
伝説のチームにいたファンタジスタとセントラルMF。
相手を幻惑するアイデアと卓越したボールコントロールでゴールを演出したAKH10。疲れを知らない運動量で中盤を支配したHJM7。
伝説のチームに君臨した2人のクラックは、ジュニアの年代からユース年代まで、光と影のようにチームを支えていた。Jr.ユース年代まではHJM7が光だった。運動能力と強靭なフィジカルによってピッチの支配者だったHJMは、危機察知能力と移動速度、キックの精度と強度は並外れていた。マジカルなプレーはせず、正確さと勤勉さでチームを支えた真のアスリートだった。AKHは、繊細なタッチと芸術性溢れるアイデアでボールをコントロールし、フットサルがまだ無かった時代にフットサルのような足裏を駆使するドリブルでゴールを演出するクリエイターとなった。後に登場するファンタジスタ達のプレーはAKHを模写したようなプレーに見えたものだ。
ユース年代に上がるとHJMは、圧倒的なフィジカルアドバンテージが薄まり、運動量だけが目立つようになり、AKHの従者のようになっていった。AKHはチームの光となり指揮者となった。テクニックのAKH、フィジカルのHJMが決まり文句となったが、ゲームの中では補完しあう関係の2人だった。但し、楽しい美しいサッカーを目指す伝説のチームではAKHのプレーが理想とされ、HJMのプレーはかっこ悪いものとされてしまった。どちらも飛び抜けたサッカー選手だったのにチーム内の評価は天と地程開いてしまった。
伝説のチームが目指したのは、技術と芸術性が溢れたサッカーだったが、汗をかくプレーは軽視するようになってしまった。知らぬ間に上手いだけの怖くないチームになっていった。HJMのプレーが理解されていたら伝説のチームは別次元のチームになっていたはずだ。「楽しくプレーする」が「楽してプレーする」になっていたことに気づかなかった。まだ若すぎたチーム、子供のようなチームだった。伝説のチームの限界がそこにあった。
AKHとHJM、伝説のチームの中でも本当の存在価値を理解されなかった2人。早く生まれすぎたのかもしれない。AKHとHJMが両輪となってチームを引っ張り、ゲームをコントロールしていた瞬間は、強さと美しさを併せ持ったチームだった。伝説のチームが40年前ではなく現代に登場していたら、3つの「I」、インテリジェンス、イマジネーション、インテンシティが溢れるサッカーは、その美しいスタイルと共にサッカーの理想として歴史に残ったはずだ。