FIFAの歴史上日本が初めて世界タイトルを獲得したU17ワールドカップ。日本の少年達の素晴らしいプレーは世界中に驚きと共に伝えられた。最大の驚きは、大会MVP、最優秀選手に選ばれた天岡良だった。大会が進むにつれて、天岡良はヨーロッパ、特にイングランドのトップニュースとして報道され、メディアを独占していった。「もう1人、超のつく天才が日本からやってきた」と。
この大会は、矢野明也と同じ年、2060年生まれのアンヘル・ジアブロやロリス・フェルカンプ、ケヴィン・クランツと言ったトップリーグにデビューした天才少年達の大会になるはずだった。超新星矢野明也が出場していない大会だけに誰もがそう予想し、期待していた。
だが、実際はそうではなかった。この少年達が期待外れに終わったわけではない。十分に、いや、期待を超えるプレーをしていた。だがこの天才少年達のプレーが霞む程、アジアの、そのまた東のハズレの国からやって来た少年が並外れていた。
チャンピオンズリーグで王者マドリーを破壊し、プレミアリーグに新時代の風を起こした矢野明也をも超える選手が現れた。そのプレーは、今期のチャンピオンズリーグとイングランド国内タイトルを独占したアーセナルの矢野明也の雰囲気を感じさた。矢野明也は出ていないのに、矢野明也がピッチにいるようだ、と評された。その動きは滑らかで、氷上のスケーターのようにピッチを滑走し、華麗なステップとターンで相手を惑わせボールとゲームを支配した。得点力こそ矢野明也に劣っているものの、決定機演出力は天岡良が上と評価されていた。
アーセナルのトップチームは世界最高レベルの選手が集まっている。U17日本代表のレベルはアーセナルのレベルではない。そのチームを天岡良は相手を驚かせる程に操った。この大会中、天岡良は世界最高のフットボーラーと言われる矢野明也を明らかに凌駕していた。
天岡良の周りは俄かに騒しくなっていた。マドリー、シティ、PSG、チェルシーと言ったヨーロッパのビッグクラブが天岡良の獲得に動いたからだ。今年最大の、いや、今世紀最大レベルの発見、それが天岡良となった。
九里ケ浜の町は、ホワイトボーイズ出身の3人が大活躍して優勝したU17ワールドカップの話題で持ちきりとなりだった。ちっちゃな良がMVPに選ばれたことに驚きは無く、九里ケ浜でやっているプレーを代表でも出来たことを喜んでいた。ホワイトボーイズの背番号10は同年代の世界大会で当たり前のようにプレーしただけだった。「リトル明也」と呼ばれていた天岡良が、「ウルトラ良」になった。大会ファイナルの頃には、九里ケ浜の人達が世界最高の選手と呼ばれ始めた矢野明也を話題にする事はなくなっていた。
ホワイトボーイズのクラブハウスには、ヨーロッパのクラブ関係者と海外メディアが大挙して押し寄せ、クラブ史上最大の来場者となっていた。九里ケ浜に集まった外国人の数は、昔行われたオリンピックの比では無かった。「天岡良の移籍金は、10億ユーロまで跳ね上がった」そんな報道もあった。ホワイトボーイズが海外からの来訪者で溢れている時、代表の石木は姿を見せず、雲隠れしていた?(石木はヨーロッパにいた)ので、クラブは何もせず来場者の対応をするだけで、ただ時が過ぎていった。
当の天岡良は、九里ケ浜が騒ぎとなり、U17日本代表の宿舎に報道陣が押し寄せる中でも天然キャラを発揮していた。U17ワールドカップが終わった時、明也に言われたこと、「大会が終わったらロンドンを案内するよ」その言葉が嬉しくて、日本代表の関係者と別行動の許可を得て、現地で行われた優勝祝賀会にも参加せずに、仁と2人でロンドンに向かってしまった。
まだ子供から大人になり切れてない2人だ。優勝の立役者が2人もいない祝賀会は、集まった報道陣から不満が寄せられたが、根元和の対応によって収まってしまった。根元和のキャプテンシーは、子供の頃から仁、良、そして明也のことを見守り続けて、チームを束ねて来た力があった。集まった報道陣の質問は、天岡良の移籍に関すること、「代理人は誰だ」「ホワイトボーイズの石木代表はどんな考えなのか」「天岡良は希望するクラブがあるのか」そんなことばかりだった。根元和は、今日の祝賀会の感謝とここまで支えてくれた協会とチームスタッフへの御礼、そして理由は明かさないと明言した後で日本先に向かった良と仁への慰労の言葉だけを伝えた。自分もロンドンに行きたいとの思いを胸にしまって。
「良のスペイン戦のゴールには驚いたよ」
「仁に出したスルーで決まったと思ったら、仁のシュートがポストをたたいて目の前に戻ってきたのはちょっと驚いたよ」
「ノーステップで打った3人股抜きシュートは、僕もやったことがないな」
「明也はもっともっと凄いシュートを決めてるだろ」「あれでスペインの連中は、度肝を抜かれた感があったよ。仁もそう思うだろ」
「あのシーンは、代表の中でも散々言われたから、もういいだろ。良のシュートは後からビデオで見たよ。俺はあの瞬間は、空を見ちゃったからな。でも、俺があのシュートを打たなかったら、良のシュートはなかったからな。良ちゃん!」
「その言い訳何回め?」
明也のもとで、良と仁は5年前と何も変わらずにフットボールの話をした。プレミアリーグのこと、FAカップのことそしてチャンピオンズリーグのこと。良と仁は明也が過ごして来たロンドンのこと、全部が聞きたかった。ただ、2人が1番聞きたかったのは、九里ケ浜を離れた時のことだった。でも、それには誰も触れないまま時間が過ぎていた。
「今日はこれからどうする?」明也の言葉に2人は声を揃えて、「ハイベリーのピッチに入りたいな。アーセナルのクラブハウスにも行ってみたいよ。出来れば、リオン・ファントマにも会いたいな」「ハイベリーか、入れてくれるかな?リオンはオフだからいないと思うけど」「明也が行けば全部なんとかなるさ」良のお気楽な回答が明也は懐かしかった。6年前と変わらない良が明也の目の前にいた。
そんな良が、今や世界最高レベルのMFと呼ばれている。
「ハイベリーでボールと戯れようか!なんとか頼んでみよう。この1ヶ月ゲームしてないから、そろそろやりたかったんだ」
「じゃあ決まりだね。どうやって行くの?」
「バイ、オーバーヘッド!いや、バイシクルで」
「それってオヤジネタだよ!でもマジでチャリ?」
そこにいたのは、世界最高のフットボーラーでもなく、U17ワールドカップの最優秀選手でもなく、普通のどこにでもいる17歳の少年達だった。
ハイベリーヒルからハイベリースタジアムまでは自転車で数分の距離。明也の家を出て、あっという間に着いてしまった。明也を描いた超大型のポスターがスタジアム正面に見えている。正面入口には、リオン・ファントマの銅像。それはハイベリーを守るようにそびえていた。
「リオンはこれでいいよね」
「銅像で終わり?」
「記念撮影しておこう」仁が珍しいことを言った。
「写真が嫌いな仁がどうしたの?」良がからかうように言った。
「ここは特別だろ。明日はウェンブリーも行こうかな?」
「明日はハートレーンに行きたいと言ってなかったか?」明也が聞き返した。
「いや、ハートレーンは明也が行きにくいだろし、中に入れないだろうから」
「ウェンブリーにもチャリで行くの?」
そこ聞いてくるか!みたいな良らしい質問に、明也は笑いながら答える。
「チャリで行けるさ。1時間くらいあればね。天才良ちゃんに見えるものは、普通の人には分からないね」そう言われた良は、「ニューライジングサンからドリームフィールドの往復くらいだ。明也が通った距離だろ、なんとかなるね」良は何の疑問もなく答えていた。明也と仁は顔を見合わせて笑った。
「良はチャリで行ってよ。僕と仁は地下鉄で行くから!」
「え!それはダメだよ。道がわかんないから」
「携帯のナビをセットしてやるから大丈夫だよ」
そんな仁の言葉に良が納得して「あっ、そうだね!」と答えると、明也と仁は可笑しさを堪えて、「良、任せてくれ」と返した。
ハイベリースタジアムの正面で自転車を引いていた3人の少年は、いつのまにか大勢の人に囲まれていた。
「あれは、明也じゃないか!もう1人は、リョー・アマオカだよ!」アーセナルの若きエースは直ぐに気づかれた。もう一人、この1ヶ月メディアの中心にいた天岡良も直ぐに気付かれたようだ。
「明也、これって面倒にならないか?」仁の問いに、明也が答える。「なるね。このままハイベリーの関係者口を自転車で走り抜けよう」2人は明也の言葉だけで、全てを察した様に自転車に乗ると一瞬三方に分かれて動き出すと遠目に取り巻いた人達にフェイクを入れるような動きをしてから、ハイベリーの通用口に向かい走り抜けた。
「ハロー、アキヤ」
ゲートスタッフに声をかけられた明也は、「リオンに呼ばれたんだよ」そんなでまかせを言って中に入った。「OK、アキヤ!リオンはピッチにいるよ」
「えっ!」でまかせだった明也は一瞬戸惑ったが、良と仁に「リオンが中にいるよ」そう言ってスタジアムに入った。
管理オフィスに入って、ピッチの使用許可手続きを済ませた明也は、2人をロッカー室に案内した。
ロッカー室はアーセナルのチームカラー、赤をベースにしたシンプルなデザインだった。背番号14のロッカーにはアキヤのネームプレートがついていた。
「さすがにアーセナルのロッカーは豪華だよなぁ!ニューライジングサンとは格が違うよ」
「明也の背番号が14になってるけど来シーズンは変わるの?」
「ああ、来シーズンは28をつけない。28は大きすぎる番号だから変えるように指示があったんだ」
「ジェフが復帰出来ないから、10番を勧められたけど、それは出来ないと断ったよ。さすがに下のカテゴリーにいた時から、色々お世話してくれたジェフを押しのけるようなことは出来ないと思ったよ。14番が空いていたから、それが良いと言ったら、関係者もOKしてくれた。つける番号は色々好みやしがらみがあるからな。良は僕と同じので良いよね。仁はケヴィンのウエアを借りちゃおう」そう言いながら、明也は2人にトレーニングウエアを渡した。
ハイベリースタジアムは芝の張替えがほとんど終わりの段階になっていた。「遂にハイベリーもハイブリッドになっちゃったか」明也がポツリと言った。世界最高の天然芝を持つハイベリーも時代の波が押し寄せ、ハイブリッドになった。
「克人、それはノーチャンスね!」
「リオン、これは頂いたよ」
明也の耳に届いた声は、聞いたことのあるものだった。良と仁は「あれっ?石木さんがいるよ」そう言って目を丸めていた。
リオンとゲームしていたのは、石木克人。ホワイトボーイズのクラブ代表だった。
「明也来たの?良いピッチになったよ。これなら前のピッチよりずっと良くなった。そこの2人は良と仁だね。U17ワールドカップのヒーローじゃないか。優勝おめでとう。ようこそ、ハイベリーへ。君達なら入団OKだ。2人共ずっとここにいていいよ!日本に帰らなくていいからね。いいだろう、克人」
良と仁は一気に英語で言われて事情が飲み込めずにいたが、石木が真面目に返した。「リオン、その話は無しだ。2人が真に受けちまうよ!」
「ジョークだ、克人」リオン・ファントマは、そう言ったものの、側で見ていた明也には決して冗談のように聞こえなかった。
「明也、リオン・ファントマはなんて言ったの?」良が聞いてきたが、明也は「冗談を言っただけさ」そう言ってリフティングを始めた。
「仁はリオン・ファントマの言ったことがわかった?」「わかるわけないだろ!」仁はリオン・ファントマを目の前にしてとても緊張していた。
良と仁がアーセナルに来たらどんなに嬉しいことかわからない。でも、それには、超えるべきハードルがいくつもあるだろう。それでもリオン・ファントマの言葉は明也の心を揺らしていた。
ハイベリーのピッチには、アーセナルのレジェンド、リオン・ファントマと日本の至宝、石木克人が、クラブスタッフとミニゲームをしている。こんな場面に立ち会えるのは2度とないかもしれない。スタンドに誰もいないのがもったいない。そして矢野明也と天岡良、真原仁という次世代のスターが加わっていた。一緒にいるアーセナルのクラブスタッフには、一生ものの思い出になるだろう。
3人がゲームに入ると、それまでの和やかなお遊びモードが一変した。ファントマと石木は若い3人が驚くほどに本気モードで向かっている。
50歳をとうに過ぎた2人はとても上手かった。若い3人が驚くほどの芸術的なボールコントロールは衰えてなかった。
Phantom through
良と仁は初めて生で見たPhantom throughを評して、言った。「人間技じゃないよね」と。
「明也、ハイベリーに来るんなら連絡くれよ!」ピッチに出て来たのはケヴィン・クランツだった。「スタジアムの外は明也が来ているとわかって騒ぎになってるよ。一緒にいるのは天岡と真原だね。U17でやりたかったなぁ、やってたらイングランドは負けなかったんだけどね。だから今日も負けないよ!」
いつのまにかやってきたケヴィン・クランツだった。
ケヴィン・クランツが加わったミニゲームは、アーセナルVSホワイトボーイズになった。
ボールを追いかける4人の少年も昔の少年2人も珍しく晴れたノースロンドン7月の空に見守られ、ただ夢中にフットボールをしていた。最大8万人収容するハイベリースタジアムに観客は1人もいなかった。スタジアムを整備するクラブスタッフを除いて。
この時、矢野明也がロンドンにやってきて5年の月日が過ぎていた。憧れのプレミアリーグ、憧れたアーセナル、そして憧れたハイベリースタジアム。そのハイベリースタジアムはいつのまにか、明也にとって家になっていた。
6歳の頃、レイソロスタウンの家から地平線に浮かぶニューライジングサンが見えた。6歳の少年が自転車で向かったゴールがホワイトボーイズの練習場ライジングサンだった。ライジングサンは庭になり、行く場所から帰る場所に変わった。
そして運命は明也をロンドンに向かわせた。そしてハイベリースタジアムが自分の生きる場所だと思うようになった。しかし、ハイベリースタジアムにたどり着いた時、明也の目には映ったのは、地平線に浮かぶニューライジングサンだった。
明也にとってのゴールは、ずっとニューライジングサンだったのだ。今は地平線の遥か彼方にあるニューライジングサンは、見ることが出来ない。矢野明也の中にあるニューライジングサンはいつも朝日を浴びてキラキラしている。潮の香りは東の風に乗ってニューライジングサンを包み込む。
ハイベリースタジアムが家になった矢野明也は、この後10年間プレミアリーグ、ヨーロッパチャンピオンズリーグ、そして世界のフットボールシーンの頂点に君臨し続ける。どんなオファーが届こうと矢野明也はアーセナルを出ることは無かった。
そして、27歳になった矢野明也は、真夏の太陽が照り付けるニューライジングサンのピッチに立っていた。
「良、遅かったな」
「明也が早すぎるんだよ」
「15年は早くないだろ」
明也が蹴ったボールは長い放物線を描いてニューライジングサンのゴールを目指して飛んでいく。
「ゴーーーン!」ボールがクロスバーを叩いて跳ね返ってくる。
ボールがクロスバーを叩いた音はスタジアムの静寂を破るように響き渡った。
「明也、狙ったの?」良の言葉に明也が答えた。
「狙わなかったら当てないよ」
ニューライジングサンを包む東の風は、ピッチに潮の香りを運んできた。
「潮の香がするな。でも、それもまた感じなくなるのかな」
ハイボールリフティングを始めた明也は、九里ケ浜の空を見上げながらそう言った。
(完)