冬から春にかけ空高く押し上げられていた東の風は、地上の風となった。これは、九里ケ浜の大地に夏の到来を告げるサインとなる。この季節になると、町は、フットボールの話題、町の2大クラブ、ホワイトボーイズとレイソロスによるダービーマッチの話題に包まれる。レイソロスがナショナルリーグに昇格していた期間、3シーズン開催されなかった九里ケ浜ダービーは、4年振りに開催される。今年のダービーは、リーグ最終戦だった。普通、最終戦は昇格や降格というドラマが見られるものだが、今回のダービーはそんなことに無関係なただの消化試合となっていた。
そんな今年のダービーには、消化試合となったトップチームの話題よりも町の人たちが注目することがあった。矢野明也のことだ。レイソロスの裏切り者、ホワイトボーイズにとっては、待ち望んだスーパークラックであり、クラブの歴史に名を遺すことになる矢野明也が、どんなプレーをするかと。
矢野明也のことは、この街のいたるところで話題となっていた。11才になろうとする選手の話題が、トップチームの存在を消すほどになった事はかつてない事だ。前回のダービーマッチでは上の年代でプレーして異次元の活躍を見せたその才能は、この地に衝撃を与えた。ダービーマッチのサイドディッシュだった前日のU年代のゲームが、ダービーのメインディッシュになってしまった。そして今度のダービーで矢野明也が、どの年代のチームに出場するのかが最大の注目になった。
町では、前回ダービーと同じU−13(年が変わったので昨年迄のU−12クラス)出場を押す声が大勢だったが、1月のリーグ最終戦に出場した現U−14を推す声も多かった。中には、トップ年代のU−17に出せとの声も出ていた。周囲の声は百家争鳴の如く賑やかだったが、当の矢野明也は、まだU−11に所属する選手でしか無い。身長は、漸く1m30㎝を越えたところで、U−11の中でも1番小さかった。
かつてその名を世界に轟かせた天才フットボーラー、リオネル・メッシは、13才で身長1m30㎝だったという。しかし、矢野明也をメッシに重ねるのは、外野の意見や希望として理解はできるが、それ自体が無責任なものだ。矢野明也は、矢野明也であってメッシではない。スーパーなクラックが登場すると、似たポジションの✖️✖️二世と言う表現がよく使われるが、これは、最終的にその先人を超えられない、惜しかった選手を表す言葉として使われるものばかりだ。登場当初は、他に例えがないから、そう言われるのはやむを得ない。だが、いつまでも✖️✖️二世と言われるのは、それが、どんな偉大な選手であろうと、言われる本人にとっては害にしかならない。
矢野明也に対する期待と熱い思いは、荒れ狂う台風の様にこの町を覆った。祖父拓哉は、明也を取り巻く喧騒が心配でならなかった。でも明也は、いつもと変わらず、学校に行き、帰って来ると直ぐにライジングサンに向かった。周りの喧騒を分かっているようだが、其れも何処吹く風のようにフットボールに没頭していた。その姿は、拓哉の父、晃が何歳になっても1人でボールを蹴っていた姿とダブって見えていた。
矢野明也は、いつもライジングサンに行き、練習前も練習後も練習のない日もボールを蹴り続ける。オフの日に、グランドキーパーやクラブの事務員たちとゲームをするのが何より楽しかった。時には、トップチームの選手もゲームに入ってプレーをする。そんな日々が続く。隣にそびえるニューライジングサンは、いつも矢野明也を見守っていた。
(続く)