イングリッシュ・フットボールリーグ1stディビジョンの前半だけで10得点した選手。ユーラシア大陸の遥か東の果ての国から来たフットボーラー、「リオン・ファントマの再来」と言われた矢野明也が、派手なプロデビューを飾った。イングランド中を駆け巡ったニュースはやがてアジアの国々にも伝えられた。そして日本のメディアから忘れられた存在になっていた矢野明也の復活劇は、おかしな報道陣を再びロンドンに呼び込むことになった。
ゲームのあった翌日、イングランドの取材陣数名がアーセナルFCのオフィスに矢野明也への取材申し込みにやってきた。アーセナルFCの広報担当が、手際よく応対して、それ程大きな話題とはならなかったというのが本当のところだった。ところが、その翌日、アーセナルFCのオフィスとアーセナルフットボールスクエアには、日本からの報道陣だけで、チャンピオンズリーグの決勝戦に集まってくる報道陣をはるかに凌ぐ数になっていた。持ち込まれたTVカメラは、オリンピックの報道センターでもこんなにならないのではと思わせる程の台数になっていた。
平日の早朝、アーセナルFCのオフィスが開く前から、ロンドンハイベリー地区は混乱する予兆があった。近くには野次馬も見え始めた。9時の時報と共にアーセナルFCオフィスに続くゲートが開くと、マラソンのスタートを思わせる光景となった。ハイベリースタジアムの側にあるアーセナルFCオフィスは、入口付近に整然と順番に並んだ報道陣の責任者が見えた。日本人スタッフは、その代表者が取材申込みの順番を決めて来たようだ。このあたりの躾の良さというか、真面目さは、ドイツ人と並んで、日本人ならではの行動様式があった。日本人は、ドイツ人の持つ計画性と規律性に対して、規則性と公平性いう行動パターンにより対抗できる民族であろう。だが、この日、アーセナルFCのオフィスやスクエアに集まったのは、日本人だけではなかった。イングランドのタブロイド紙やヨーロッパ各地の報道関係者も多数含まれていたので、取材申込みは、大混乱に陥った。
整然としていた日本人スタッフのエリア以外は、抜駆けや出し抜きが、横行していた。アーセナルスタッフの静止は、無いも同然となっていた。アーセナルFCオフィスは、事態を収拾すべく全ての取材依頼を保留とする措置を取らざるを得なかった。日本人スタッフは、唯呆然と事の成り行きを見守るだけだった。真面目さが仇になったのか、他国の報道陣の不真面目さが仇になったのかは、わからない。今回も日本の報道陣は、矢野明也に接触する機会を失ってしまった。
この日矢野明也は、アーセナルフットボールスクエアではなく、ヴェンゲルスタジアムでアーセナルトップチームとBチームの合同練習に参加していた。夏のオーストリア合宿で、矢野明也がトップチームの選手からダメ出しを受けてから3ヶ月が過ぎていた。この合同練習の目的の1つは、矢野明也がトップチームにフィットする機会を作るものだった。練習には、ジル・キャンベルを始めとするトップチームコーチとパトリック・ヴィオラ以下のBチームのコーチが参加した。
フィットする可能性を探るはずの会が、切れ味が覚醒、進化した矢野明也の前で、トップチームのメンバー達は、タジタジとなった。メンタルの回復した矢野明也は、トップの選手でも手が付けられない程の怪物になっていた。動きの速度と予測・判断・実践速度は群を抜き、ボールタッチの巧妙度は特別な仕掛けがあるようだった。攻めにおいても、守りにおいても明也の入ったチームが、全てのメニューで勝利していた。2対2、3対3、4対4、6対6、9対9と人数が増える程、矢野明也の入ったチームの優位性が浮き彫りになった。
矢野明也は、グループやチームを別次元に引き上げる能力を持っていた。(続く)