矢野明也の扱いをどうすべきか。アーセナルの首脳達は結論を出せないまま新シーズンの開幕が迫っていた。無言を貫くリオン・ファントマにヘッドコーチのジル・キャンベルが提案を出した。
新シーズンは、アーセナルBで育成を続け、トップチームには帯同させない。Bチームのヘッドコーチは、将来トップのヘッドコーチを託すであろうパトリック・ヴィオラだ。リオン・ファントマ引退後アーセナルの誇りを受け継ぎ、守り抜いたヴィオラは、負のサイクルに陥ったチームを支え続けた。そのヴィオラがアーセナルBで指導している。ヴィオラの指導は、独特のものだった。プロ契約したと言っても矢野明也はまだ16歳の少年だ。ユニフォーム販売と言うマーケティングの視点ばかりで、矢野明也を壊してはいけない。突然負のサイクルに入ってしまった矢野明也をヴィオラに預けて成長サイクルに戻す。
キャンベルの提案は、奇をてらったものではなく、普通のものだった。
無言を貫いていたリオン・ファントマが遂に口を開いた。「矢野明也は、天才だ。だが、今までも若くして天才と言われた選手は星の数ほどいる。今回のプロ契約は、FAの怪しげな画策が発端で起きた矢野明也狂想曲によって、1年前倒しで行われた。その判断は正しかったはずだ。U−17の快挙は、矢野明也無くしては不可能だった。だが、明也はまだ16歳。心の奥に潜む不安が今の停滞を生んだのだろう。心の問題は、技術や体力の問題より厄介だ。ジルの提案は、リスクを伴うかもしれない。それでも、このままトップチームに置くことは明也を壊すことになるだろう。外に出すことは、明也を手放す覚悟がいる。ジルの言うパトリックに委ねるのは最善の選択だろう」「パトリックの指導で明也が、タフな選手に成長することを期待しよう」
リオン・ファントマの決断によって、明也の扱いは決定した。パトリック・ヴィオラが呼ばれ、矢野明也の扱いについて説明を受けている。「明也がガナーズの未来を担う選手かどうかは本人次第だ。Bでは他の選手達と同じように扱うよ。リオン、それでOKだろ」ヴィオラの言葉にリオン・ファントマが頷いた。
パトリック・ヴィオラ、現役時代強靭なプレーが売り物のセントラルMF。技術はクラシカルなブラジル人、イマジネーションはイタリアのファンタジスタ、そしてピッチ上では強力な壁として君臨した。ピッチの闘将「The Wall 」と呼ばれた。
アーセナルBチームは、元来トップチームのサポートメンバーを確保するために編成されている。そして、イングランドフットボールリーグ1stディビジョン(3部リーグに相当)に属している。選手は20代前半が、ほとんどだが、中には30代のベテランも数名存在する。30代は、完全なプロではなく、別に本業となる仕事を持っていて、夜間練習と週末のリーグ戦になるとやって来てゲームに参加している。生粋のグーナーと言えるのが、30代の選手達だ。
昨シーズンのアーセナルBは、1stディビジョンを4位で終わり、チャンピオンシップ(2部に相当)昇格を逃していた。シーズン後半に主力5名がトップ帯同、怪我人も続出して失速。昇格圏から脱落してしまった。この昇格レースを最後迄支えたのは、ヘッドコーチヴィオラの手腕もあるが、何よりも30代の選手達が奮闘したことだろう。ガナーズ魂に溢れた選手達は、最後の笛が鳴る迄戦い続けた。アーセナルBは、トップチームのようにボールを支配する機能美を追求するチームではない。思想は同じでもメンバーが固定されることがなく、ゲームに出られる選手のツギハギ的な組み合わせになる。30代の選手達は、有効に機能していた。どこのポジションでも普通以上の働きをしていたからだ。グーナー魂の塊だった。
明也は、アーセナルであってアーセナルとは異質なアーセナルBに所属することになった。
(続く)