随分時間が過ぎていた。「お父さんに怒られるな」「ホワイトハートレーンまで行った事は黙ってよう」「アーセナルの選手になることはばれてないはずだ」明也は逃げるように自転車を走らせハイベリーヒルを目指した。ロンドン初日にスパーズのサポーターとフットボールをした明也。実はかなり危険な行動をしていたが、何事もなく終わった。しかし、明也のプレーを見たスパーズのサポーターには、忘れられない出来事になった。
ハイベリーが見えて来た。家の前に着くと家の前では父が心配そうに明也を待っていた。「さっきリオンが明也に会いに来たんだよ」「お前がいないと知って帰ったよ」「明也は本当に期待されてるんだな」父の言葉は、何処か寂しい響きだったが、明也には分からなかった。
グーナーズハウスは、明也が到着する前からざわついていた。アカデミーU−13カテゴリーには23人が所属している。明也が入って24人になる。元は24人いたが、明也の入団で1人の少年が押し出される様にアーセナルアカデミーを退団していた。
アンヘル・ジアブロという少年は、才能の面では明也に負けてなかったかもしれない。だが、矢野明也をアカデミーU−13に入れることで、アンヘル・ジアブロは、U−12行きを通告された。本来の年齢に合わせた措置ではあったが、代わりに入るのが日本人で、しかも自身と同年齢と聞いて、アンヘルはプライドを傷つけられてしまった。そんな時にマンチェスターのクラブがアンヘルに近づいていた。そして、アーセナルはアンヘル・ジアブロを失った。アンヘルの退団はそれが真実だった。それでもアーセナルアカデミーの中で皆に可愛がられたアンヘルが退団となったのは事実であり、その代わりに入ってくるのが日本人の少年ということに不信感があったのも事実だった。
「アンヘルより凄いヤツだという。アカデミーのコーチングスタッフの話では、魔法使いだと」そんな話はどんどん盛られていくものだが、「新しいリオン・ファントマだ」という表現にアカデミーのメンバーは戦々恐々だった。アーセナルの中でリオンに例えられることは稀なことだからだ。アーセナルの外で言われるのと中で言われるのとでは重さが違うからだ。
アーセナルフットボールアカデミーは、U−7からU−17までの11のカテゴリーを持っている。明也が所属するのは、U−13のカテゴリーだ。U−12から上の代がグーナーズハウスで寄宿生活をしているプロの予備軍となるカテゴリーになる。明也の様にグーナーズハウスと自宅が近いケースは稀だが、グーナーズハウスにいる子供達の殆どが、イングランド内に家族の住む自宅がある。嘗てあった有能な子供を国外から連れてくるという「人身売買」のようなスカウトは今では殆ど無くなった。それでも、アンヘル・ジアブロの様に、家族をイングランドに移住させ、子供をアカデミーに入団させるという巧妙な手順を踏むことはいまだに行われる。明也の様に偶然家族がイングランドにやって来て、後から子供がついて来たケースは、珍しい。
グーナーズハウスがざわついている時に明也はやって来た。リュックを背負い、自転車を引いてやって来た。「小さいな」「アンヘルより背が高いが、普通の日本人だ」アカデミー窓越しに明也を見ていたU−13のメンバーが話している。「おい!リオンが出迎えてるぞ」アカデミーの入り口にはアーセナルフットボールクラブのゼネラルマネージャー、リオン・ファントマが立っている。明也と言葉を交わして中に入った。「リオンが出迎えてる程凄いヤツなのか?」「新しいリオンだからなのか」
明也は、チームのメンバーから、「反感」というマイナスイメージを持たれてグーナーズハウスでの生活をスタートすることになった。
もうすぐ始まる新シーズンは、明也にどんな試練を与えるのだろうか?
(続く)