「リオン・ファントマの再来」イングランドに渡った矢野明也を語る枕言葉は、明也のメンタル面を上げ下げする作用と反作用を伴う、有難く無いものになっていく。グーナーズハウスでの生活は、羨望と反感が渦巻くものとなった。
普段のなんでも無い行動が、日本とイングランドの習慣の違いによってマイナスになり、明也に負荷をかけていく。本来チームの仲間になる筈のメンバーは、皆プロを目指すライバルだった。来るものがいれば、去るものがいる。競争が当たり前、アカデミーの生活とは競争すること。それ以外は何も無い。U−13というカテゴリー内の競争だけではない。近い将来U−14とも競争する。いずれトップチームのメンバーとも競争が始まる。トップチームとの競争に勝ち残らないと、結局はアーセナルに残ることは出来ない。
競争に勝つこと、それはフットボールが上手いだけでは難しい。不可能と言っても良いだろう。アーセナルアカデミーの選手が上手いのは当たり前のこと。その年代の世界のトップレベルがいるのだから。だが、上手い選手なら夜空に輝く星の数程存在する。アカデミーで生き残り、トップチームに上がるには上手いことに加え、強い個性と心と体の強さ、更にチャンスをモノにするその個人が生まれ持った運のようなものが必要になる。
天賦の才能というものが時に語られることがある。それは誰もが持っているものだ。本人がその才能に気づく気付かずに関わらず、その才能をどう伸ばしたかで身を結ぶ状態は、天と地の差がつくものだ。天賦の才能とはそんなものだ。
矢野明也が生れながらに持っていた才能、天賦の才能とは、視覚的情報を即座に体現出来る能力だろう。映像やライブで観たものを直ぐにコピーしてしまう。ペレもマラドーナもメッシも明也は簡単に真似できる。リオン・ファントマのプレーは映像で見ていた。イリュージョンドリブルは、U−10の頃完璧にコピーしていた。レジェンド達のプレーを瞬間コピーするのは、並の運動能力では不可能だ。これは天賦の才能というより日々の生活で伸ばしたものと言える。1才からボールと遊び、ボールを高く投げたり、ボールに乗って動いてみたりして、体幹や反射動作が身についていった。3才で自転車に乗リ始めた。自転車で走り回り、その速度で街を見続けたことで空間を認識する能力も身について行った。フットボールを始めた5才の頃には、U−12の技術レベルに達していた。ホワイトボーイズに入ってから、レジェンドの映像を見て、ヨーロッパのリーグ戦を見るようになって天賦の才能である複写能力が才能を開花させていった。だが、これから本当の競争という生き残りをかけた戦いが始まる。
U−13の選手達は、矢野明也という日本から来た少年が、特別な扱いを受けていると思っていた。確かにそれは間違いではない。なぜなら、リオン・ファントマが直接迎える選手は、過去いなかったからだ。アンヘルをマンチェスターに追いやりアカデミーに入った矢野明也の実力とはどれ程なのか。翌日の練習が始まれば見えてくる。U−13チームの練習は、一丸となって矢野明也を潰そうとするモノになる筈だ。
8月13日、アーセナルフットボールアカデミーの練習が始まる時間、アーセナルフットボールクラブのゼネラルマネージャーがトレーニングウエア姿でグランドにいた。リオン・ファントマが、アカデミーのグランドに立つのは、17才でトップチームに上がる前のことなので30年以上経っている。
リオン・ファントマがアカデミーの練習に参加して何かするのだろうか?アカデミーの選手達はリオン・ファントマの姿にざわついている。「何故、リオンがいるんだ」そんな声が聞こえてくる。リオン・ファントマは矢野明也のプレーを見たかったのだが、アカデミーの選手達に必要以上の圧をかけていることを感じて、一旦グランドから出て、外から練習を眺める事にした。練習はU−13からU−15までが同じ時間に同じグランドを使って行われた。