プレシーズンの始まる8月、矢野明也がホワイトボーイズを離れる情報が1人歩きして真実のようになっていた。矢野明也は、退団の意思表示も、ましてはその手続きもしていない。クラブが情報を出したわけでもない。正式な情報が出されないので町は、不安が増幅して不満に変わり、不信になっていった。その不信は、初めの頃クラブに向いていたが、次第に矢野明也本人に向き始めた。レイソロスの裏切り者という扱いを受けた矢野明也が、ホワイトボーイズの裏切り者扱いを受けようとしている。
九里ケ浜の町が蜂の巣を突いた様な騒ぎになっていた時、矢野明也は、日本にいなかった。このことが、騒ぎが続いた1番の原因かもしれない。この時、矢野明也は、ロンドンに居て、両親と姉に連れられて、住むことになるかもしれない家と通うことになるかもしれない学校を見に行っていた。スタンフォードブリッジとホワイトハートレーン、そしてハイベリースタジアムを見にも行っていた。せっかく来たロンドンだから、批判を受けることでもないだろうと軽く見ていた。
シーズン前で観客の居ないハイベリーは、猛獣が静かに寝息を立てている様な雰囲気だった。起こしたらとても危険だと感じさせるものがあった。ハイベリーは、ニューライジングサンとどこか似ていた。規模こそ違えども形と造りが、ニューライジングサンは、ハイベリーをモデルにして造られた様な気がしていた。2万人収容のニューライジングサンに対して、六万人収容のハイベリーでは、明らかにスケールが違っていたが、最新技術を駆使して造られたニューライジングサンの設備と機能、そしてその美しさは、ハイベリーにも負けてない。だが、どんなに痩せ我慢してもニューライジングサンが、ハイベリーに追いつかないのは、紡いだ歴史と伝統の重みだろう。ハイベリーから出るオーラは、日本にあるナショナルスタジアムでも比べられないほど威厳があった。大都市ロンドンにあるハイベリーと片田舎にあるニューライジングサンが似ているなんて言えば、ロンドンの人は、大笑いどころか、正気で言ってるのかと疑いの眼で見見られるだろう。それでも、矢野明也には、ハイベリーにニューライジングサンを感じた。そしていつか、このスタジアムでプレーしてみたいと思った。
駆け足で過ぎたロンドンだったが、九里ケ浜に戻った矢野明也を待っていたのは、「明也をロンドンに行かせるな」の大合唱だった。明也は、この光景に戸惑っていた。ハイベリーを見て心が揺さぶられた矢野明也だったが、ニューライジングサンを見て、やはり、此処に残りたいと強く思った。矢野晃の魂が生き続ける九里ケ浜の地は、明也を惹きつける見えない力が働いているようだった。明也は、母と姉に此処に残りたいと伝え、父にも連絡を入れた。
しかし、明也のこの決断は、だれにとって良い決断だったのか?町の空気に、いや九里ケ浜の風に流された決断だったのかもしれない。この決断が、やがて明也を追い詰めることになる。
こうして、矢野明也の小学校5年生の夏は、終わり、ホワイトボーイズが迎える新しいシーズンが始まろうとしていた。