日々是蹴球
県単位の大会を制した九里が浜FCは、地元に凱旋した。ただし、凱旋と言っても地元の人達は、地元のチームが中学生年代のフットボールの県チャンピオンになったことに全く興味がなかった。九里が浜の地元からは遠いが同じ県の超師創業高校が春の選抜野球大会でどんな戦いをするのか、優勝する事が出来るかということに興味があった。九里が浜FCのことは知られていない。この時代のフットボールはスポーツの人気度では、野球、相撲、バレーボールの下で、テニスとバスケットと同レベルだった。圧倒的なパフォーマンスで県大会を制覇したと言っても、フットボールそのものが理解されてなかったので、その凄さは伝わらなかった。
だが、未来の子供達は、そんな地元の声やフットボールの人気度など気にもかけずに毎日フットボールをしていた。
1976年2月は早い春の訪れで好天に恵まれていた。これから9月の全国選手権までの道のりは遠い。出場すら決まっていない。未来の子供達は12人。後から追加登録した2人の選手は良い選手だが、未来から来た選手ではない。未来の子供達は、半年前一緒に来るはずだった2人の仲間が、この時代に来ること願っていた。
その2人とは、榊野実(さかきの みのり)とタ士丸俊哉(たじまる としや)
榊野は、細野と先発ポジションを争う選手だが、細野のようなスピードスターではない。だが、九里が浜のトリックスターである市井克人以上の意外性溢れるプレーをする。榊野は、未来の子供達が時空のドアを開けた時、何故かその場にいなかった。みんなは、榊野が時間を間違えたと疑ったが、普段の生活でも意外性溢れる榊野の行動が予測不能だったので本当の理由は、本人に聞くまでわからないと思っていた。
タ士丸は、U-14の選手で1歳下、膝の爆弾がいつ爆発するかわからない中林の替わりを出来る唯一人の選手だった。剛の中林、柔のタ士丸。2人はタイプが違っていても、ゴールゲッターであり、センターフォワードと言うポジションがとても合っている。空中戦は中林だが、足元の器用さはタ士丸が上だった。
この2人が未来の子供達に入ることで九里が浜のフットボールは、予想がつかない楽しさが加わる。
閏年の1976年2月29日、時空の扉が開いた。九里が浜FCの練習が始まる少し前、12時の時報が鳴り終わった時、4人の少年が、九里が浜FCのグランドに降り立った。
3人は、ジャージ姿でボールと大きなバッグを抱えている。1人は普段着でボール2つとより大きなボストンバッグ、そしてもう一つ大きな縦長のバッグを持っていた。
4人だけ、他には誰もいないグランド。ジャージを着た3人の少年は、このグランドで間違いがなかったか少し不安だった。この時代、この場所を指定したのは、大きな縦長のバッグを持っていた少年だったから。
その普段着を着た少年は、ジャージを着た3人の少年からこう呼ばれていた。
「みのりさん!」
普段着の少年は答えなかった。すると次は呼び捨てにされて、
「みのり、本当にここで間違ってないの」
普段着の少年は、只々ニコニコしているだけだった。
九里が浜FCのグランドに降り立ったのは、榊野実だった。
(遅れて来た榊野は次回に続く)