ヨハンの戯言も14号となったので原点に帰ったフットボールの話をしよう。
自らが主体的に攻撃することをやめ、守備を固めたカウンターフットボールはアンチフットボールだ、と言い続けてきた。そして今でもアンチフットボールはなくならない。イタリアは戦術を重視するという自らを美化した考えでアンチフットボールを進めてきた。そのイタリアは今どうなっている。ヨーロッパでは並みのレベルの国になってしまった。2006年のW杯優勝国はイタリアだった。そのイタリアのフットボールを誰が記憶していよう?誰も記憶していない。ジダンの頭突きは憶えていてもイタリアのフットボールは記憶に残っていない。2010年のCリーグ優勝チームは?これも記憶に残っていないだろう。2012年の優勝チームはイタリアと関係ないが、これも記憶に残っていないだろう。人々の記憶に残らないフットボールは、真のフットボールではない。アンチフットボールだ。イタリアが1対0の美学を捨てなければアンチフットボールの国として歴史に刻まれる。
それでは、2009年と2011年のCリーグの優勝チームは?2008年と2012年ユーロの優勝国は?2010年のW杯優勝国は?バルセロナとスペイン。攻撃的で常にボールを支配したパスサッカーでトータルフットボールの再来、美しいポゼッションスタイルといわれたフットボールだ。攻撃を重視し、ボールを支配し続け、1対0より4対3で勝つことを求め、選手がフットボールを楽しみ、観客がフットボールを楽しいと思うことを追求する。こんなスペクタクルフットボールはフットボールの理想であり、その理想はフットボール原理主義、クライフイズムと呼ばれるようになった。アンチフットボールは絶滅することはないだろう。クライフイズムは絶滅するかもしれない。今日勝つために美しさを捨て醜い無様なフットボールをしようとプロの意地という錯覚に陥ってプレーすることはなくならないから。現実を重視するリアリズムフットボールというおかしな言い訳を言うかもしれない。勝つことだけを重視したスペシャルワンなどという戦術家気取りも幅を利かせる時代になった。プロフェッショナルが勝利を求めるのは当たり前のことだ。だが観客が楽しいと思わないフットボールをしてゲームに勝っても結局は支持されない。勝利を義務付けられた国ブラジルでも優勝した94年の代表より、華麗なパスワークで観客を楽しませた82年の代表が愛されている。美しいフットボールは、記録に残らないかもしれない。だが必ず記憶には残っている。フットボールを愛する人は皆、美しいフットボールを愛している。そんな美しいフットボールがいつまでも続いて欲しいものだ。
フットボールは常に変化する。フットボールの変化とは、戦術が進化したり退化したりすることだ。美しいフットボールはいつも変わらない。醜いフットボールも変わらない。戦術が美しさを追求している時と醜さ(勝利のみ)を追求している時では全く違うものになる。今のバルサは3年前のバルサではない。美しいバルサはもう存在しない。ボールを失うことを恐れ、ボールを保持することそのものが目的になってしまった。だから、バルサはハーモニーを奏でない、マドリのような即興演奏型になった。しかもMNSを並べたためソロの演奏(個人の突破)が長くなり、楽しいものではなくなった。美しくなくなってしまった。これはバルサが美しさを求めない戦術に変わっただけで美しいスタイルが変わったわけではない。バルサがクライフイズムを捨ててしまっただけだ。スペインで25年前に始まったクライフイズムという美しいフットボールを追求するプロジェクトは終わろうとしているようだ。クライフイズムは絶滅してもいい。美しいフットボールは絶滅してはならない。フットボールを愛する全ての人が美しいフットボールを愛し、美しいフットボールで勝利を求めて欲しい。
美しいフットボールで結果を出すこと。その信念は時を経ても変わっていない。美しく勝利せよ!
これまで多くの言葉がメディアに取り上げられた。全てが美しいフットボールのために言った事だが、代表的なものを選んでみた。読み返してみると意味不明なものもあるがそれも一興だ。
-美しく敗れる事を恥と思うな、無様に勝つことを恥と思え。-ワンタッチこそ最高の技術だ 。-ボールを走らせろ、ボールは絶対に疲れない。-ボールを持っていれば、点を取られない。-各個人が的確なポジションを確保し、味方選手との間に的確な間隔を維持し続ければ、"無駄な走り"も少なくなる。-プレッシングは優れたテクニックの前では無力だ。-偶然は論理的だ。偶然の背後には必ずロジックが働いている。-サッカーは頭脳でするゲームだ。-どんな欠点にも長所がある。-いくら点を取られても、相手より1点多く取ればいい。-理解できるまでは分からない。-イタリアは勝つことができなくても、われわれがイタリアに負けることはある。-彼らの守備はヤギのチーズ。-才能ある若手にこそ挫折を経験させなければならない。挫折はその選手を成長させる最大の良薬だからである。-ボールを持てば私が主役だ。決定するのは私で、だから創造するのは私だ。-フットボールでは100mより30mから40mを速く走ることが重要だ。だがもっと重要なのは”いつ”走るかだ。-いくら技術に優れたスーパースターでも、その上には、勝者が、チャンピオンがいるものだ。-シュートを打たないとゴールは決められない。-フットボールはシンプルだ。しかしフットボールをシンプルにプレーすることは難しい。
おまけ:伝説のドリブラーAKR14は、髪が長かった。練習中もゲーム中も髪が気になっていた。そんなAKR14は、コーチにいつも言われていた。「か・み・を・切・れ!」と。でもAKR14は髪を切らなかった。今でも髪は長いようだ。AKR14は、その長い髪をなびかせてドリブルした。東の国のサッカー王国(東の国はフットボールと言わない)と言われた場所でプレーしても右サイドDFを抜き、右センターDFを抜き、右センターDFも抜いてシュートしようとしたら右足のシュートポジションだった。切り替えしたらアンカーMFがチェックにきたのでまた抜いた。さてシュートと思ったら抜いたDFに囲まれていた。当時東の国のテクニシャン(古い響き)が集ったサッカー王国でもAKR14のドリブルはエクセレントだった。少しだけでもシュートが好きだったら、ちょっと早く味方に、は・た・い・て・いたら、AKR14のチームは東の国のチャンピオンになっていたはずだ。長い髪をなびかせて空気を切り裂くドリブルをするAKR14。ベッケンバウアーでも簡単に抜いたかもしれない。美しいサッカーは次の年代に譲ったかもしれないが、AKR14のドリブルは誰よりも美しかった。なぜなら、AKR14は、ディエゴより、クリスティアーノより、レオより、そう世界中の誰よりもドリブルが好きだったから。