どちらもフットボール。戦術的にはクラブレベルに劣るが、勝敗にこだわるメンタリティーはクラブを超える代表戦だ。クラブ戦のメンタリティーが低いと言うことではない、意地と誇りを賭ける代表戦、ユーロやコパは、異常と思える程の「気」のぶつかり合いになる。取分けコパのメンタリティーは尋常では無い。ブラジル(セレソンと言うべきだが、既にセレソンは過去の遺物になった。セレソンの話をすると長くなるので今は止めておく)でさえ名前だけでは勝てない。弱みを見せたら木っ端微塵になる。今回のコパは100周年の記念大会のため、北中米の国が参加しているので少しばかり趣きは違うが、ウルグアイの様に最初の躓きが命取りになる。実力上位と思われるチームが勝てない、そんな番狂わせが起きるのがコパだ。
ユーロも番狂わせが起きる大会だ。参加チーム数が拡大して来た歴史があり、初期のユーロ(ヨーロッパネーションズカップと呼ばれていた)は、有力国が本気で参加していたか疑問だが。92年以降のユーロで見るのが間違いは少ない。デンマーク、ドイツ、フランス、ギリシャ、スペイン、スペインの順で優勝した。本命優勝はフランスと前回のスペインだけだ。前々回のスペインは、ベストエイトの壁を超えられるかがテーマのチームだった。本命が優勝したのは、3回に1回。今回の本命はフランスとドイツ、対抗はスペインとベルギーと言う?だが、今回はこれ以外の国が優勝するような予感がする。でもこれ以上の予想は止めよう。偏った視点になってしまうとつまらないので。
ユーロは今大会から24チーム出場となった。商業主義的な拡大路線だ。決めたのは、今は無き?(亡きではない)UEFAの将軍殿だった。少しばかりレベルが下がった感はあるものの、戦術の機能比べを見られる大会であることに変わりない。大きく分けると「攻撃的スタイルか、守備的スタイルか」という、その後の戦術トレンドを方向付ける。ワールドカップも同じ様な大会だが、ユーロはワールドカップよりも数段レベルハイだ。
コパはどうかと言うと、戦術的トレンドはあるにはあるが、局面での1対1が今も昔も変わらない。カウンターの切れは必殺だ。コンパクトゾーンやブロックライン、ポゼッションが見えることもある。だが、どれもメインではない。ヨーロッパの戦術スタイルを採り入れたのは、その戦術がセレソンに対抗する為に生まれた出生の謂れにある。セレソンのマジカルスキルに対抗する為に南米の国もヨーロッパの戦術を取り入れていった。南米も表面上は欧州化していったが、根の部分、魂は欧州化していない。南米のままだ。DNAがフットボールの原点を記録しているからだろう。
技術レベルでは世界がグローバルスタンダードの名の下に均一化に向かい、平均は上がった。表面的には技術格差は縮小した。「下」が上がった反面、飛び抜けた「上」が少なくなった。セレソンが過去の遺物になってしまったからだろう。セレソンは、自らのアドバンテージを見失い、いつの間にか魂も欧州化して崩壊した。そしてスーペルクラックが誕生する国は、セレソン・ブラジレイロからアルビ・セレステ・アルヘンティーナに代わった。(アルビ・セレステの話も長くなるので止めておく)
南米の戦いを見ると、これがフットボールの原点ではないかと思う。戦術や約束事(ルールやマニュアルと言うべきかな)とは次元が違う所でフットボールが実演されている。強力な個の力が集結し、個が魂を入れてボールを扱う。ボール運びはどのポジションでも職人的で巧い。プレスする踏み込みは、速くて深い。ヨーロッパではファールになるプレーオンになる。(規準が違う?)ヨーロッパのクラブシーンでは見事な演技でファールを貰う南米選手が、コパでは、ファールを受けてもチャンスならば、すぐ起き上がりプレーを続けゴールを目指す。チャンスは待つものではなく、自らが切りひらき掴むものだと言う精神が生きている。
フットボールの原点は、ポゼッションスタイルと言う美しいパスゲームではない。個がシュートを打つ場所にボールを運べるか、対峙する個が如何にそうさせないかだ。
コパとユーロ。コパはその根に宿るフットボールの原点を見て行こう。ユーロは、優秀な選手が演じる戦術と言う譜面を見て行こう。長い長い15-16シーズンが、クライマックスを迎える。
そして、ようやくバカンスシーズンがやって来る。