熱戦が期待されたリバプールは、ホーム、アンフィールドで激しい戦いを挑んだ。前半こそ無失点で乗り切り、スタンドを大いに盛り上げた。だが、後半エンジン全開になったアーセナルは、ケヴィン・クランツの一撃でリバプールから先制点を奪った。攻撃の手を休めないアーセナルは、矢野明也が指揮する攻撃が1つの生命体となった壮大な組織プレーによってリバプールを破壊していった。終わってみると6-0という大勝だった。
アーセナルを止めるところはないのかと話題になった。が、8節を残して26節で優勝が決まってしまうと、アーセナルは、ホームもアウェーもどこか歯車が狂って、苦戦続きだった。引分けと1点差勝ちという薄氷の無敗を繰り返して迎えた最終節、第34節は、スタンフォードブリッジが会場だった。
ビッグロンドンダービーとも言われるロンドンの覇権を争ったチームが最後の関門だった。そのチェルシーは、無敗優勝を阻止すべくなり振り構わぬ戦いを仕掛けて来た。ジョンブル魂どこ吹く風の危険なチャージやタックルが乱発されて、アーセナルを怯ませた。だが、ケヴィンがファールを受けると熱くなったケヴィンが相手に掴み掛かり、両チームが入り乱れて揉み合いになった。
喧嘩両成敗によってケヴィンとチェルシーの選手が退場となってしまう。10対10になってもチェルシーの激しいチャージは収まらずアーセナルの攻撃をファールスレスレで防ぎ続けた。このまま終わっても無敗優勝達成だったアーセナルが安全策に出ると、一転してチェルシーが攻撃をしかけて来た。安全策が、消極的なプレーとなり、慌てたアーセナルが、残り5分となったところでPKを献上してしまう。チェルシーのキッカーは、ナンバー8、キャプテン、エドウィン・ハザード。プレースキックのスペシャリストだ。ハザードのキックは、キーパーの飛んだコースの逆をついた。だが、蹴った直後に金属の震える音が響き、ボールはピッチの外に飛んでいった。アーセナルは最終節も引分けを掴んだ。
28勝6分無敗。アーセナルU−17は、インヴィンシブルズを再現した。
リオン・ファントマの時代にも達成したことのない無敗優勝を明也達は達成した。シーズン当初、矢野明也狂想曲で混乱していたアーセナルは、終わってみると歴史的な快挙を成し遂げ、75-76シーズンの幕を閉じた。
アンダー世代は、年齢単位でチーム構成される。だから年が変われば中身も変わっていく。史上最強のアーセナルU−17もメンバーは変わってしまう。前年チャンピオンと雖も新たなU−17を構成するのは、U−16から昇格した者やセレクションを合格した者、スカウトされて移籍して来た者と多様だ。
今年16歳になる矢野明也は、アーセナルU−17に参加する資格者だったが、チームリストに名前が無かった。トップチームに昇格するからだ。
2076年6月24日、矢野明也は自身16歳の誕生日にアーセナルトップチームへの入団が正式発表された。背番号は空いていた「28」。イングランド中に名前が知れ渡った矢野明也のアーセナル入団は既定路線ではあったが、大きく報道された。
(続く)