一清和史。九里が浜FCの絶対的守護神。身長185㎝、170㎝の諸宮以外は165㎝にも届かない選手ばかりの九里が浜FCで頭一つ抜け出た体格を持つただ1人の選手。(東城は140㎝しかなかった)
一清はこんな大きな体をしていたが、とても器用で俊敏性と予測能力がズバ抜け出た選手だった。いわゆる「頭が良い」と言われるプレーヤーだ。そして天から与えられたとても大きな手を持っていた。フットボールなのかハンドボールなのかわからないくらいだった。左右どちらも出来るワンハンドキャッチは一清にしか出来ないプレーだ。
一清は、ゴールキーパーでありながら、足元の技術も優れていた。ロンドが好きでキーパー練習そっちのけロンドをやっていたから左右どちらの足でも使いこなす。ワンタッチプレーを得意にしていた。そして1対1が強く、守備のマッチアップでは海東や諸宮以上の封殺力を持っていた。東城でさえ一清との1対1では苦労して楽に勝てなかった。
そんな一清1人が守る九里が浜FCのハーフコートに習知野FC、狩越と八俣が浸入した。
一清はペナルティアークを出たところにいた。狩越は、ループを狙える位置だったが、スピードで一清を抜こうとした。
一清はループをケアする動きと八俣が走り込む右サイド(習知野から見ると左)へのパスに注意を向けていた。一清のそんな意図を察していたのかは不明だが、狩越は一清の逆を取るように右サイド(一清の左サイド)にスピードで抜け出そうとした。
ボールは一清の左を抜け出ていた。抜けた、と思い、狩越はシュートを打つ体勢になり、ゴールに視線を向けると目の前には黄色い壁があった。一清のユニフォームは上下黄色。狩越が抜け出したと思った先にはサイドステップで動いた一清がいた。蜘蛛の動きの様な一清のステップ。狩越は抜いたはずの一清が目の前にいることに一瞬戸惑い、シュートをやめ切り返しで一清をかわそうとする。だが、このアクションは一清の予測していた一つでしかなかった。切り返しの瞬間、一清は左足裏で狩越のボールを引き抜くと自身右足の裏にボールを通して前を向く。蜘蛛が巣にかかった虫を捕まえる様に見えた。一清は下がって来た諸宮に、戻り遅れたことへの注意の一言をかけながらボールを送る。
一清はゴールキーパーとして優れたセーブ能力を持っていたが、カバーリング能力は、それ以上で異次元のものだった。準決勝までは、3人のディフェンダーが守備に備えていたので目立たなかったが、今日のゲームは、一意専心、超攻撃型という本当の九里が浜FCスタイルになった。このスタイルは、最後尾に一清がいなければ成立しない。一清はハーフコート全てをカバーする能力を持っていたから。
九里が浜の並び1-3-2-4は、オールコートマンツーマンだが、真の狙いは攻撃専念だった。数字の1のポジションは基本諸宮が、数字の並びに表れないポジションに一清が君臨している。
自陣中央付近でボールを受けた諸宮は、前を向くと直ぐに右足アウトにかけたボールで習知野左センターバックと左サイドバックの間をとおすロングパスを出す。カウンター攻撃に入っていた習知野FCは、忠実に基本通りにディフェンスラインの押し上げをしていたので裏のスペースは広大だった。諸宮からのボールが来ると思っていた中林と堀内が中央と右サイドからクロスする様に動き、ボールは中林がボールのスピードを殺さない綺麗なワンタッチコントロールで裏に抜け出す。東城も中央から抜け出ている。那須対中林-堀内-東城という3対1の場面が出来上がった。
習知野FCペナルティエリアに中林と堀内直ぐ後方に東城という3対1の場面を作られた那須。普通なら失点止むなしのところだが、那須にそんなメンタルはなかった。中林のシュートをケアしながらも堀内と東城の動きも捕捉している。シュートコースは消している。中林のセンターフォワードとしての本能は突破を選択させる。中林は右足アウトでボールを押し出す動きの後にインサイドで戻すエラシコを見せる。那須は驚くが、軸はぶれない。次瞬間中林はエラシコで戻したボールを左右のダブルタッチで縦に抜ける。エラシコに感心した分那須の対応が遅れた。シュートコースが開いた。中林は反射的にシュートを打つ。そこまで強く打たなくてもいいだろうという程の強烈な低い弾道のシュートがニア方向に飛ぶ。
「バーン」ポストに当たって跳ね返る。ボールは那須の元へ飛んでくる。習知野にツキがあって、九里が浜にツキがなかったと言えるかもしれないが、これは、中林のミスキックだ。中林は頭を抱えている。
ピンチを凌いだことで那須は、ゲームを静まらせようとボール保持に時間をかけていた。初めて生で見たエラシコの余韻も残っていた。
那須は急がず中盤右サイド選手にボールを送る。西塚が寄せて行く。習知野中盤選手は1対1を仕掛ける。
西塚亜希翔。ボールを受けるのは足元のみ。どんな局面においても動いてボールを受けない。だが、西塚にボールが届けば、幾らでもキープしてしまう。足裏ドリブルと股抜きで前に進む。スピードは無い。囲まれてしまうことがほとんどだが、それでもボールは保持している。九里が浜トップチームの矢野亜希矢や枝本比呂知と似ているが、矢野と枝本はドリブルすることにフットボールの価値を見出す。西塚はボールを相手に取られず持っていることがフットボールだという意識。とにかく、ボールをこねまわし続ける。だから自分でシュートを打つことは希だ。西塚がスルーパス、ラストパスが好きじゃなかったら矢野や枝本と同じ孤高のソリストになっていただろう。股抜きのスルーパスを出しては相手をガッカリさせる。そんな西塚は、九里が浜のプレースキッカー、多彩なキックも持っている。だが、ディフェンス力は九里が浜の中では最低レベル。市井と並びツートップならぬというツーワースト。市井と西塚がいる九里が浜の布陣は左サイドに守備の脆さがある。必然的に中盤センターのアンカーである諸宮は左寄りになることが多い。今日は、諸宮よりも海東が中盤アンカーのポジションになっている。海東も自然と左にずれていく。
西塚の寄せは速かった。西塚に正面に立たれた習知野FCの中盤選手は、西塚のチャージに戸惑っている。九里が浜の選手達は、可笑しかった。真剣に守備をする西塚を見たことがなかったから。西塚がボールを奪う。習知野のディフェンスラインはしっかりしているが市井が裏に抜け出ようとしているのが見える。スルーパスが出る。市井がペナルティエリアに入る。そして直ぐにクロス。東城が動いている。誰もが東城の左足に注目する。東城はキックフェイントを入れ、左足でボールのコースを変える。中林の前にパスが通った。中林が右足を振り抜く。那須は為す術がなかった。
2-0、ゲームはワンサイドになる気配。そして前半が終了する。
大会無失点だった習知野FCが、前半で2失点。後半はどんなドラマが待っているか。
(第16話に続く)